東京都郊外
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吉祥寺
吉祥寺
1657年の明暦の大火で文京区本郷に存在した諏訪山吉祥寺の門前町が焼失した際、江戸幕府は都市計画に基づき、同地を大名屋敷として再建することにした。
吉祥寺門前の住民たちは居住地と農地を失ったが、幕府は希望者に代地や家屋の建築費用を与え、現在の武蔵野市東部へ移住した。
元の吉祥寺に愛着を持っていた住民らが「吉祥寺村」と名付けた。
ちなみに、諏訪山吉祥寺は大火後、本郷から本駒込へと移転している。
1923年の関東大震災で被災した市街地からも多くの人が吉祥寺に移住し、人口が急増。
翌1924年、成蹊学園が池袋から移転してきたことで、農村から住宅街、そして多くの商店や学生で賑わう街へと変貌を遂げた。
現在も成蹊大学、東京女子大学、立教女学院、武蔵野大学、国際基督教大学、亜細亜大学、ルーテル学院大学などがあり、高田馬場やお茶の水や下北沢と並ぶ都内有数の学生街としても知られる。
さらに、歌舞伎劇団の「前進座」が戦前から根を下ろし、演劇の街の側面もある。
付近に漫画家が多く住んでおり、吉祥寺を舞台とする漫画作品も多い。
アニメーション制作会社やゲームソフトメーカーも多く、吉祥寺駅前を中心にアニメ舞台のロケ地となることも多い。
井の頭恩賜公園
1917年5月1日開園。
43ha(430,000㎡)の敷地に4ha(43,000㎡)の井の頭池を擁する都立公園。
東京23区を横断する24.6kmの一級河川神田川の水源がある。
西東京の山に降った雨が地下水となり、東京湾へ向かう途中にあり、井の頭池とその周辺は土地が窪んでおり、地下水が湧き出る。
井の頭池を縁取るように植えられているソメイヨシノが見事。
夏には新緑が楽しめ、秋には紅葉が見頃を迎える。
お茶の水
井の頭池は豊富な湧き水に恵まれ、かつては三宝寺池、善福寺池とともに「武蔵野三代湧水池」と呼ばれた。
徳川家康がこの池の湧水を関東随一の名水とほめてお茶を入れたという伝説から「お茶の水」という名が付いたとも言われている。
現在では湧水減少のため、地下水をポンプで汲み上げている。
井の頭弁財天
10世紀に創建され、1652年に寺院となった。
本尊の弁財天像は789年、最澄による作。
井の頭弁財天が池でボートを漕ぐカップルに嫉妬する為、カップルで井の頭池ボートに乗ると別れるという伝説が産まれた。
Elle est jalouse du couple qui monte dans un canot.
鎮魂供養碑と聖観世音菩薩
人間が生きるために犠牲にした動植物への鎮魂の碑と像
帰五薀皆空 ごうんかいくう
人間界の現象や存在は全て実体が無く、空である。
五蘊は、人間の心身と環境を構成する物質的・精神的な5つの要素で、
色しき(物体)...Le corps
受じゅ(感覚)...Le sens
想そう(表象)...La représentation
行ぎょう(意志)...La volonté
識しき(認識)...La conscience
宇賀神像移設改修
「我こそ弁天の化身だ」と申して池に入水し白蛇になった松原の3枚鱗が首にある娘を偲んで供養のために作られた像。
宇賀神は、人頭蛇身で蜷局を巻いた姿。
蛇神や龍神の化身とされることもある。
仏教の神(天)である弁財天と習合し、同一神は宇賀弁財天とも呼ばれる。
高尾
高尾山
東京都八王子市高尾町。
真言宗智山派大本山高尾山薬王院有喜寺の修験道の霊場。
真言密教の聖地の一つ。
京都高雄山神護寺に見立てられる。
江戸時代に幕府直轄領となり、その後も国有林として山林保護政策によって保護。
1,300種以上の植物、100種以上の野鳥、5,000種以上の昆虫が生息。
年間登山者数約300万人(世界一)。
高尾山の歴史
744年 聖武天皇の勅令により、東国鎮護の為に僧行基が開山。
1923年 関東大震災により標高が601mから600mへ。
1927年 ケーブルカー開業。日本百景に選定。
1967年 「明治の森高尾国定公園」に指定。
1972年 標高が599mになる。八王子市役所は登山客に土入り袋を持たせ、山頂に積み上げ、標高を600mに戻す案が出るも、実現せず。
2007年 ミシュラン三ツ星の観光地へ。
明治以降、高尾山薬王院参拝客に振る舞われたとろろそば が名物。
高尾山薬王院
本尊は薬師如来。
大本堂は1901年建立。
彩色は無く、彫刻で装飾。
入母屋造で、堂内には護摩壇がある。
本社(権現堂)は、1729年本殿建立。
飯縄権現を祀る神社(神仏習合の名残り)。
入母屋造の本殿と拝殿を幣殿でつないだ権現造。
※護摩=祭壇に火を点け、火中に供物、護摩木を投じて祈願する。
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