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石川県

石川県 金沢市
面積 4,180㎢
【35位】
468㎢
人口 1,125,000人
【33位】
460,000人
人口密度 268人/㎢
【23位】
982人/㎢

目次


金沢

概要
江戸時代は、江戸幕府800万石を除いて大名中最大の102万5千石を領した加賀藩の城下町(ville fondée autour d’un château féodal)として栄え、人口規模は江戸・大坂・京の三都に次ぎ、名古屋と並ぶ大都市だった。
※藩...fief d’un daimyo
※石高...近世の日本における太閤検地(1582年頃)~地租改正(1873年)までに採用されていた基準(norme)。田畑や屋敷などの土地の価値などが主。
単位(une unité)は、1石=100升=1,000合(1升は約1.8ℓ)

第二次世界大戦中に空襲(attaque aérienne)を受けなかったため、今なお市街地に歴史的風情が残っている。
昔、金沢市郊外に住んでいた芋掘り藤五郎が山芋を洗っていたところ、砂金(paillette d’or)が出た為、金洗いの沢(marais)と呼ばれた。
この「金洗いの沢」は、兼六園内の金沢神社の隣にあり、現在は「金城霊沢」と呼ばれている。
1546年の一向一揆(émeute)で本願寺の拠点が置かれた尾山御坊(金沢御坊)が起源。
1580年、柴田勝家の甥、佐久間盛政が尾山御坊を攻め落とし、その地に金沢城を築いた。
賤ヶ岳(しずがたけ)の戦い以降、前田利家が金沢城に入り、加賀藩の原型が形成された。

鼓門
高さ13.7mもある2本の柱に支えられている門は、伝統芸能である能楽と加賀宝生の鼓(petit tambour japonais en forme de diabolo)をイメージ。
能楽は14世紀から600年以上演じ受け継がれてきた舞台芸術。
加賀宝生(ほうしょう)は、石川県の伝統芸能である宝生流の能楽の事。

近江町市場
広さ約3haの土地に約170店舗の店が加賀野菜や海産物を販売している。
1690年に袋町の魚市場、1721年に犀川口(さいがわぐち)の市場が近江町に移り、近江町市場の原型が出来る。

野村家
1583年、前田利家(大名:seigneur local)が金沢城に入城した際に家来だった野村伝兵衛信貞(家臣:vassal)の屋敷。
前田家は徳川家の次に大きな家で、当主が伝統芸能好きだった為、能や金箔が盛ん。
その前田家の家臣(vassaux superieur)が野村家。

上段の間
藩主を招いた部屋。
総桧(cyprès)づくりの格天井に六尺に及ぶ桐(paulownia)板張りの床。
黒柿(plaqueminier)材の透かし彫りの釘(clou)隠しや襖の引手は鉄刀木での細工彫りで出来ている。

こう桶(こうけい)
鶯の鳥籠(une cage)を桐箱に入れて鳴き声を響鳴させ、風情を楽しむ。

濡れ縁と庭園
この界隈は中級武士が住んでいた土塀(mur de terre)と水の町。
雪から土塀を守る為の「こも」は金沢の風物詩。
金沢城築城の際に木材運搬(transport)に使われた金沢最古の大野庄用水が流れ、当時野村家などの屋敷はこの水の流れを庭園に引き入れ、曲水としていた。
北陸の地には生育が稀とされる樹齢400年の山桃、椎の古木、名石、奇石を擁し、濡れ縁にせまる曲水、落水が奥行きのある空間を形成している。
庭の組石は約400年前、金沢城の石垣として切り出された時、搬出不能で山に残されていた石。
切り出し人夫の功を誇る目印入りの戸室石。
当時は一般使用禁制の石。

茶室
数寄屋建築の粋。
石段を上がり、2階に位置する織部床の茶室「不莫庵(ふばくあん)」。
茶室天井は桐板に神代杉(土中に長い年月埋まっていた杉材)の一枚板をおき、四国特産の数少ないみどり松でおさえた珍しい造り。
控えの間の床板は樹齢約1,000年の紅葉の一枚板で、天井は真菰(まこも/稲科の植物)の茎張り。
庭園を眺め水の音に心を休めつつお抹茶とお干菓子をいただける。

兼六園
  • 開園...1676年→1774年→1874年
  • 面積...11.7ha(117,000㎡)
  • 時間...以下参照
  • 料金...一般320円/6歳~18歳未満100円
  • 年来園者...2,590,000人
  • 特徴...特別名勝、池泉回遊式庭園、二本三名園、日本さくら名所100選
開園時間
3月1日~10月15日 10月16日~2月末日
7:00~18:00
17:30最終
8:00~17:00
16:30最終
観桜期や紅葉期に夜間ライトアップ有り
1676年、加賀藩4代藩主の前田綱紀が、金沢城に面する傾斜地にあった藩の事務所を城内に移し、その跡地に自らの別荘である「蓮池御殿(れんちごてん)」を建ててその周りを庭園化したのが起源。

琴柱(ことじ)灯籠(lanterne de jardin)と虹橋
琴(cithare japonaise)の糸(corde)を支える琴柱(ことじ)の形をしていることからこの名で呼ばれている。
別名を琴橋とも言う。
この灯籠は水面を照らすための雪見灯篭が変化したもので、高さは2.67m。
かたわらのモミジの古木、曲水に架かる虹橋と一体となって優れた風景を醸し出している。

唐﨑松
13代藩主前田斉泰(なりやす)が琵琶湖の松の名所唐崎から種子(graine)を取り寄せ育てた黒松。
兼六園の中で最も枝ぶりの見事な木。
雪の重みによる枝折れを防ぐため、冬に施される雪吊りは他の庭園では見れない、兼六園ならではの風物詩。

霞ヶ池
1837年に堀広げられた池で、広さは5,800㎡。
池の中の島は蓬莱島といい、不老長寿を表しており、また亀(tortue)の形をしているので別名亀甲島とも言う。

地蔵堂
1824年、12代藩主前田斉広が隠居所「竹沢御殿」で没した時の枕石の跡にこの堂が建てられた。
堂内には地蔵尊の石像2体が安置されている。

日本武尊(やまとたけるのみこと)像
1877年、西南の役での戦死者を、九州の熊襲(くまそ)を平定(pacifier)したヤマトタケルになぞらえて建立された。
銅像の身長5.5m、台石の高さ6.5mで1880年に建てられた。
※日本武尊...日本神話において最も武力に優れた半神半人の英雄的神。

根上松
大小40数本もの根が地上2mにまでせり上がった奇観は兼六園名物の一つ。
13代藩主前田斉泰が、松の根が地表近くに成長する性質を利用して土を盛り上げて若松を植え、根を深く土で覆い、成長後に土を除いて根を露わにしたもの。

梅林
この梅林は1968年、明治百年記念事業として全国石川県人会連合会、兼六園茶店組合、大宰府等各天満宮、北野天満宮、湯島天神、水戸偕楽園、河北郡七塚町(現かほく市)等の協力により、全国から名梅を集めて造られた。
面積3,000㎡に20種200本の梅(prunier)が植えられている。

松の傷
blessure du pin
この松の傷は太平洋戦争が終わった年、1945年の6月頃、政府の指示で軍用航空機の燃料(le combustible)にする為に松脂(まつやに)(résine)を採取した跡である。

竹根石手水鉢
この手水鉢は竹の化石(le fossile)のように見えるため、この名があるが、椰子類(la famille de cocotier)の茎(tige)と根(racine)の化石で、学術上極めて珍しい。

噴水
12代藩主前田斉泰(なりやす)が金沢城二の丸に噴水を上げるために試作したとされ、日本に現存する最も古い噴水である。
ポンプ(pompe)などの動力は一切用いておらず、噴水のある園内の水源・霞ヶ池から石管(tuyau en pierre)で水を引き、位置エネルギーのみを利用しているので、水が噴き上がる最高位はほぼ霞ヶ池の水面の高さ3.5mに相当する。

時雨亭
5代藩主綱紀が建てた蓮池御亭が起源。
続く6代藩主吉徳が老朽化した御亭を建て替え、補修しながら存続させ、藩政後期には時雨亭とも呼ばれるようになった。
現在の時雨亭は当時の平面図をもとに、2000年に再現した建物。
8畳と10畳の座敷の間に1畳台目の「御囲」と呼ばれる小さな茶室が設けられている。

時雨亭で使用される抹茶は、「蓮池の香」というオリジナルブレンドで、前田家18代当主前田利祐(としやす)氏の命名。

成巽閣(せいそんかく)
1863年に前田斉泰が母親の隠居所として建てる。

金沢神社
1794年、加賀藩11代藩主前田治脩(はるなが)が藩校明倫堂を建てた際、その鎮守社として、学問の神であり、前田家の祖先とされる菅原道真を主祭神とする神社を創建した。

金沢城
1546年 寺院尾山御坊建立
1580年 佐久間氏が寺院を攻め、金沢城と改称
1583年 前田利家が入城し、尾山城と改称
1587年 金沢城に改称

石川門【重要文化財】
金沢城の裏門で、高麗門の一の門、櫓門の二の門、続櫓と二層二階建ての石川櫓で構成された枡形門で、金沢城三御門のひとつ。
1788年再建。
枡形内の石垣は右と左で技法が異なり、右側は「切石積み」、左側は「粗加工石積み」

金沢城の石垣
金沢城は「石垣の博物館」とも言われ、多種多様な石垣が現存する。
城の周りには野趣に富む高石垣、藩主の御殿や庭園周りにはデザイン感覚にあふれる石垣群を築くなど、場所によって石垣様式を使い分けている。
  • 自然石積み...ほとんど加工のない自然石を積み上げる技法。
    古い時代の石垣に見られる。
  • 粗加工石積み...形や大きさをそろえた割石を用いて積み上げる技法。
  • 切石積み...石同士の接合部分を隙間なく加工して積み上げる技法。

菱櫓/五十間長屋/橋爪続櫓
二棟の三層三階の物見櫓「菱櫓」と「橋爪門続櫓」を、二層二階の倉庫「五十間長屋」でつないだ建築物。
2001年7月に復元され、明治以降に建てられた木造城郭建築物としては、国内最大規模。

三十間長屋【重要文化財】
二層二階の多聞櫓で、1858年再建。
倉庫として使われた建物で長さは26間半。
土台の石積みの技法は「切石積み」だが、表面の縁取りだけをそろえ、内側を粗く残す「金場取り残し積み」という技法が用いられている。

鶴丸倉庫【重要文化財】
城郭内に残っているものとしては国内最大級の土蔵。
武具が保管されていた。
幕末の1848年に竣工し、明治以降は、陸軍によって被服庫として使われた。
石板を貼った外壁など、櫓や城門などとはデザインを変えている。

河北門
金沢城の実質的な正門で、高麗門の一の門、櫓門の二の門、枡形土塀で構成された枡形門。
石川門、橋爪門とともに「金沢城三御門」と呼ばれ、二の門は城内で最大規模を誇る。
2010年4月に復元。

橋爪門
二の丸への正門として最も格式の高い門で、高麗門の一の門、石垣と二重塀で囲まれた枡形、櫓門の二の門からなる。
「金沢城三御門」のひとつで、城内最大の枡形門。
2015年3月に復元。

旧第六旅団指令部
木造瓦葺きのフランス様式を取り入れた平屋建ての建物。
1898年竣工。
中央に玄関があり、左右対称の外観。
レンガ積みの基礎に、腰から軒までの外壁はモルタル塗り、上下に開閉する窓が付いている。

玉泉院丸庭園
2代藩主利長の正室玉泉院(永姫)が屋敷を構え、後に3代利常が作庭を始め、廃藩時まで藩主の内庭として存在していた。
2015年に池泉回遊式庭園として江戸後期の姿を再現するとともに、池のほとりには庭園を一望できる玉泉庵を整備し、和室では季節に因んだ生菓子と抹茶を楽しむことが出来る。