建築
目次
プリツカー賞
Le prix Pritzker
- 概要
-
1979年、米人実業家Hyatt創業者Jay Arthur Pritzker創立。
建築を通じて人類や環境に貢献をしてきた存命の建築家を1年に1組表彰。
建築界のノーベル賞。
Come le prix Nobel pour l'architecte.
| 年 | 受賞者 | 国籍 |
|---|---|---|
| 1979年 | Philip Jonhnson | アメリカ |
| 1987年 | 丹下健三 | 日本 |
| 1993年 | 槇文彦 | 日本 |
| 1994年 | Christian de Portzamparc | フランス |
| 1995年 | 安藤忠雄 | 日本 |
| 1998年 | Renzo Piano | Italie |
| 2008年 | Jean Nouvel | フランス |
| 2010年 | 妹島和世 西沢立衛 |
日本 |
| 2013年 | 伊東豊雄 坂茂 |
日本 |
| 2019年 | 磯崎新 | 日本 |
| 2021年 | Anne Lacaton Jean-Philippe Vassal |
フランス |
| 2024年 | 山本理顕 | 日本 |
| 2025年 | 劉家琨(Liu Jiakun) | 中国 |
| 2026年 | Smiljan Radić Clarke | チリ |
建築家
- 辰野金吾
-
1854年10月13日~1919年3月25日
設計の頑丈さから「辰野堅固(solide)」と呼ばれた。
1880年 英留学。Joshiah Conderの前職場と出身校であるバージェス建築事務所とロンドン大学で学ぶ
1886年 造家学会(のちの日本建築学会)を設立
辰野金吾建築事務所設立。 特徴…赤煉瓦と白石の帯を組み合わせた「辰野式」を確立。
| 年代 | 建物 | 地域 |
|---|---|---|
| 1896年 | 日本銀行本館 現・日本銀行本店旧館 |
東京都 中央区 |
| 1903年 | 日本銀行大阪支店 | 大阪市 北区 |
| 1906年 | 日本銀行京都支店 | 京都市 中京区 |
| 1907年 | 浜寺公園駅 (辰野金吾が設計した初の鉄道駅舎) |
大阪府 堺市 |
| 1911年 | 岩手銀行本店本館 | 岩手県 盛岡市 |
| 1912年 | 唐津銀行 | 佐賀県 唐津市 |
| 1914年 | 中央停車場 現・東京駅丸の内駅舎 |
東京都 千代田区 |
- 伊東忠太
-
1867年11月21日~1954年4月7日
山形県米沢市出身
1893年 「法隆寺建築論」発表。
1923年 明治以降老朽化し取り壊しの決まった首里城正殿保存に尽力。
1943年 建築界初文化勲章(l'ordre de la Culture)受章
特徴…和洋折衷やインド・中国風など多様な様式を融合させ、建物内外に妖怪や空想上の動物(ガーゴイル等)を多く配置した独創的なデザイン。
| 年代 | 建物 | 地域 |
|---|---|---|
| 1895年 | 平安神宮 【重要文化財】 |
左京区 |
| 1920年 | 明治神宮 戦後再建 |
原宿 |
| 1933年 | 靖国神社「神門」 | 九段下 |
| 1934年 | 築地本願寺 【重要文化財】 |
築地 |
| 1934年 | 湯島聖堂 | 御茶ノ水 |
- 内田祥三(よしかず)
-
1885年2月23日~1972年12月14日
深川出身
1923年 関東大震災後の東大復興。
1935年 日本建築学会会長。
1972年 文化勲章受章
特徴…スクラッチタイルの外壁と連続するアーチを特徴とする「内田ゴシック」。
| 年代 | 建物 | 地域 |
|---|---|---|
| 1925年 | 東大大講堂(安田講堂) 【登録有形文化財】 |
文京区 |
| 1976年 | 安田火災海上本社ビル 損保ジャパン本社ビル |
新宿 |
- 渡辺仁
-
1887年2月16日~1973年9月5日
新潟県佐渡出身
特徴…特定のスタイルに固執せず、ネオルネサンス様式から帝冠様式、モダニズムまで幅広い建築デザインを自在に操った近代日本の建築家 -
※1松本與作と共同設計
GHQ本部が置かれた
第一生命本社
1993年にDNタワー21竣工 - ※2渡辺作品としては珍しい初期モダニズム様式(le début de modernisme)
-
※3コンペ当選案件。
実施設計は宮内省で、渡辺は実施設計に関与していない。
帝冠様式と言われるが、壁体の意匠が洋風ではなく和風なため、異を唱える研究者もいる。
| 年代 | 建物 | 地域 |
|---|---|---|
| 1927年 | ホテルニューグランド | 横浜 |
| 1927年 | 小田急南新宿ビル (旧小田急電鉄本社) |
代々木 |
| 1932年 | 服部時計店 (2代目和光) |
銀座 |
| 1938年 | 第一生命館(※1) | 丸の内 |
| 1938年 | 原邦造邸 原美術館(※2) |
品川 |
| 1937年 |
東京帝室博物館計画案 東京国立博物館本館(※3) |
上野 |
- 山田守
-
1894年4月19日~1966年6月13日
岐阜県羽島郡出身
特徴…日本のモダニズム建築の先駆者。
最大の特徴は、日本武道館や京都タワーの様な、美しい曲線・曲面を多用したダイナミックな造形。
装飾を排除した合理的な機能主義をベースにしながらも、角の丸みやパラボラ(放物線)を取り入れ、建築全体を軽やかに見せるデザインを追求。 - 逓信建築の先駆者的存在、モダニズム建築を実践し、曲面や曲線を用いた個性的、印象的なデザイン。
- 逓信建築
-
1885~1943年、1946~1949年設置されていた郵便、通信、運輸を管轄する中央官庁。
Le ministère des Communicationsの官僚技師集団によって設計された建築。
| 年代 | 建物 | 地域 |
|---|---|---|
| 1926年 | 永代橋 | 中央区 江東区 |
| 1927年 | 聖橋 | 文京区 千代田区 |
| 1929年 | 旧千住郵便局電話事務室 現・NTT東日本千住ビル |
北千住 |
| 1932年 | 旧荻窪郵便局電話事務室 現・NTT東日本荻窪ビル |
杉並区 |
| 1963年 | 旧互助会ビル 現・内神田282ビルディング |
神田 |
| 1964年 | 日本武道館 | 千代田区 |
| 1964年 | 京都タワー | 下京区 |
- 谷口吉郎
-
1904年~1979年
石川県金沢市生まれ。
1938~39年…駐独日本大使館新築の一環として日本庭園造園の為ベルリン出張。
特徴…西洋のモダニズム建築に、金沢の伝統文化や茶の湯の精神を取り入れた和洋折衷空間。
| 年代 | 建物 | 地域 |
|---|---|---|
| 1951年 | 慶應義塾大学 第2研究室(新萬來舎) |
三田 |
| 1959年 | 千鳥ヶ淵戦没者墓苑 | 千鳥ヶ淵 |
| 1968年 | 東京国立博物館東洋館 | 上野 |
| 1969年 | 東京国立近代美術館 | 竹橋 |
| 1974年 | 日本学士院会館 | 上野 |
- 白井晟一
-
1905年2月5日~1983年11月22日
京都府京都市出身。
「哲学の建築家」「哲人建築家」「異端の作家」 特徴…光と影を巧みに操り、素材の持つ存在感を極限まで引き出した建築
| 年代 | 建物 | 地域 |
|---|---|---|
| 1958年 | 善照寺本堂 | 蔵前 |
| 1974年 | ノアビル | 麻布台 |
| 1980年 | 渋谷区立松濤美術館 | 渋谷 |
- 前川國男
-
1905年5月14日~1986年6月26日
Le CorbusierやAntonin Raymond(tchèque)の元で学び、モダニズム建築(le modernisme)の代表として戦後の日本建築界をリードした1人。
弟は24代目日銀総裁(Président de la Banque du Japon)の前川春雄(在位:1979~84)。
現在の日銀総裁は植田和男(32代目:2023年~現在)
1928年 東京帝国大学工学部建築学科卒業→パリのLe Corbusier事務所に入所。
1930年 帰国後、東京のRaymond事務所に入所。
1935年 銀座に事務所開設。
1978年 フランス国家功労勲章(L'ordre national du Mérite)受賞。
特徴…機能性と合理性を追求した「モダニズム建築」をベースにしつつ、自然光や木材の温もりを取り入れ、人々が集う広場や中庭を含めた「都市空間の創造」を重視したデザイン
| 年代 | 建物 | 地域 |
|---|---|---|
| 1955年 | 国際文化会館 | 六本木 |
| 1961年 | 東京文化会館 | 上野 |
| 1964年 | 紀伊國屋ビルディング | 新宿 |
| 1975年 | 東京都美術館 | 上野 |
| 1979年 | 国立西洋美術館新館 | 上野 |
- 丹下健三
-
1913年9月4日~2005年3月22日
大阪府堺市出身
1930年 高校の図書室で見たLe Corbusierの記事に感銘を受けて建築家を志す。
卒業後は前川國男建築事務所に入所。
1996年 フランス政府よりレジオンドヌール勲章(L'ordre national de la Légion d'honneur)受章。
特徴…鉄やコンクリートといったモダニズムの合理性に、日本の伝統的な木造建築の美しさや構造を融合させた「伝統と現代の創造的統合」
| 年代 | 建物 | 地域 |
|---|---|---|
| 1952年 | 広島平和記念資料館 【重要文化財】 |
広島 |
| 1955年 | 広島平和記念公園 【国の名勝】 |
広島 |
| 1964年 | 東京カテドラル 聖マリア大聖堂 |
東京都 文京区 |
| 1964年 | 国立代々木競技場 | 東京都 渋谷区 |
| 1967年 | 静岡新聞 静岡放送東京支社ビル |
東京都 中央区 |
| 1991年 | 東京都庁舎 | 新宿 |
| 1992年 | Grand Ecran | Paris Place d'Italie |
| 1992年 | 国際連合大学 | 青山 |
| 1994年 | 新宿パークタワー | 新宿 |
| 1996年 | フジテレビ本社ビル | 台場 |
- 篠原一男
-
1925年4月2日~2006年7月15日
静岡県出身。
東京工業大学建築学科で清家清に師事。
1953年卒業後、1986年定年退官に至るまで東工大の教壇に立ち、プロフェッサーアキテクトとして、住宅を中心とする前衛的な建築作品を一貫して手掛けた。
磯崎新と並んでメタボリズム後の日本建築界のリーダーと目され、特に1970年代以降の住宅建築デザインに多大な影響を与える。
坂本一成、白澤宏規、長谷川逸子、葛西潔、葛西秀一郎、高橋寛、高橋晶子、武田光史、西村博司、坂牛卓、安田幸一ら篠原研究室出身者の他、伊東豊雄へも直接的な影響を与えており、彼らは、篠原のカリスマ性や哲学的スタイルから「篠原スクール」「エピステーメー派」などと称された。
隈研吾は安藤忠雄への影響も指摘し、安藤が基本的に篠原の「抽象的な空間」の継承者であると述べている。
特徴…「住宅は芸術である」という思想。数学的バックグラウンドを活かした厳格な幾何学構成と、日本の伝統空間の融合。抽象的で力強い空間構成
| 年代 | 建物 | 地域 |
|---|---|---|
| 1954年 | 久我山の家 | 杉並区 |
| 1961年 | から傘の家 | 練馬区 |
| 1982年 | 日本浮世絵博物館 | 松本市 |
| 1987年 | 東京工業大学百年記念館 | 目黒区 |
| 1990年 | 熊本北警察署 (2017年より熊本中央警察署) |
熊本市 |
- César Pelli
-
1926年10月12日~2019年7月19日
アルゼンチン生まれ、アメリカ国籍の建築家。
1977年…Cesar Pelli & Associates設立。
(現 Pelli Clarke Pelli Architects)
「建築は都市の為にあり、都市は人の為にある」という徹底した人間中心主義と、その土地の文脈(コンテクスト)に調和する柔軟なデザインが特徴。
| 年代 | 建物 | 地域 |
|---|---|---|
| 1972年 | 在日アメリカ合衆国大使館 | 赤坂 |
| 1984年 | ニューヨーク近代美術館 | ニューヨーク |
| 1977年 | Les tours Petronas | Kuala Lumpur |
| 2001年 | 愛宕グリーンヒルズ | 港区愛宕 |
| 2012年 | アークヒルズ仙石山森タワー | 六本木一丁目 |
| 2014年 | あべのハルカス | 大阪市阿倍野 |
| 2015年 | La tour Sevilla | Séville |
| 2023年 | 【遺作】 麻布台ヒルズ森JPタワー |
麻布台 |
- 槇文彦
-
1928年9月6日~
東京都生まれ
母方の祖父は竹中工務店の会長を務めた竹中藤右衛門。
丹下健三の研究室で学んだ後、ハーバード大学(Harvard)大学院修士課程(master)を修了。
1965年 槇総合計画事務所設立。
特徴…モダニズムをベースにした洗練された透明感。日本的な「奥」や「回遊性」の空間概念を融合。都市と建築を連続して捉え、人々の滞在や回遊を誘発する「群造形」の手法を確立
| 年代 | 建物 | 地域 |
|---|---|---|
| 1969年 | ヒルサイドテラスA棟•B棟 | 代官山 |
| 1973年 | ヒルサイドテラスC棟 | 代官山 |
| 1977年 | ヒルサイドテラスD棟•E棟 | 代官山 |
| 1985年 | スパイラル | 表参道 |
| 1987年 | ヒルサイドプラザ | 代官山 |
| 1989年 | 幕張メッセ | 海浜幕張 |
| 1990年 | 東京体育館 | 千駄ヶ谷 |
| 1992年 | ヒルサイドテラスF•G•N棟 | 代官山 |
| 1999年 | ヒルサイドウエスト | 代官山 |
| 2003年 | テレビ朝日本社ビル (六本木ヒルズ) |
六本木 |
| 2003年 | 朱鷺メッセ | 新潟市 |
| 2017年 | 刀剣博物館 | 両国 |
- 磯崎新
-
1931年7月23日~2022年12月28日
大分県大分市出身
1960年…丹下健三研究室で黒川紀章らと共に東京計画1960に関わる。
1963年…丹下健三研究室を退職し、磯崎新アトリエ設立。
1967年(36歳)…大分県立大分図書館竣工。
初期の代表作で、1997年に改修されアートプラザになった。
1983年(52歳)…つくばセンタービル竣工。
ポストモダン建築の旗手と目されるようになった。
2019年…プリツカー賞受賞。
ポストモダン建築をリードして国際的に活躍。
特徴…ひとつの様式に固執せず、時代と共に変容・進化し続けた「スタイルなきスタイル」
| 年代 | 建物 | 地域 |
|---|---|---|
| 1966年 | 大分県立大分図書館 (現アートプラザ) |
大分市 |
| 1974年 | 群馬県立近代美術館 | 高崎市 |
| 1974年 | 北九州私立美術館 | 北九州市 |
| 1983年 | つくばセンタービル | つくば市 |
| 1985年 | グラスアート赤坂 | 港区 |
| 1987年 | カザルスホール | 御茶ノ水 |
| 1988年 | 東京グローブ座 | 新大久保 |
| 1995年 | 京都コンサートホール | 左京区 |
| 1998年 | なら100年会館 | 奈良市 |
- 黒川紀章
-
1934年4月8日~2007年10月12日
愛知県出身
東大で丹下健三研究室に所属。
在学中に株式会社黒川紀章建築都市設計事務所設立。
槇文彦、磯崎新、谷口吉生らと共に丹下健三の門下生。
1986年…L'Académie des beaux-artsのゴールドメダル受賞。
特徴…「メタボリズム(新陳代謝)」と「共生の思想」という独自の建築哲学。建物や都市を生命体のように変化していくものと捉え、西洋の二元論を克服して日本古来の曖昧さや自然との調和を現代建築に融合
| 年代 | 建物 | 地域 |
|---|---|---|
| 1972年 | 中銀カプセルタワービル | 銀座 (2022年解体) |
| 1974年 | BIG BOX | 高田馬場 |
| 1977年 | 日本赤十字本社 La Croix-Rouge japonaise |
御成門 |
| 1984年 | ワコール麹町ビル | 麹町 |
| 1990年 | ウインズ銀座 | 銀座 |
| 1992年 | Pacific Tower | La Défense |
| 2004年 | 日本看護協会原宿会館 | 表参道 |
| 2006年 | 国立新美術館 | 六本木 |
- 原広司
-
1936年9月9日~
神奈川県川崎市出身
特徴…光や風を取り込む「有孔体」、重力を感じさせない「浮遊」といった独自の建築哲学
| 年代 | 建物 | 地域 |
|---|---|---|
| 1988年 | 飯田市美術博物館 | 飯田 |
| 1993年 | 梅田スカイビル | 梅田 |
| 1997年 | 京都駅ビル | 下京区 |
| 1998年 | 宮城県図書館 | 仙台 |
| 2001年 | 札幌ドーム | 札幌 |
| 2003年 | 越後妻有交流館キレーナ | 十日町 |
- Renzo Piano
-
1937年9月14日~
イタリア人建築家。
巨大建築に求められる技術的課題に応える。
特徴…「ハイテク建築」の旗手として知られ、工学的な合理性と詩的な美しさを融合。鉄やガラスなどの最先端素材を駆使しつつ、地域の環境や光、歴史との調和を重視。
| 年代 | 建物 | 地域 |
|---|---|---|
| 1971~77年 | centre Pompidou | Paris |
| 1988~94年 | 関西国際空港 旅客ターミナルビル |
大阪 |
| 1998~2001年 | メゾン・エルメス銀座 | 銀座 |
- 谷口吉生
-
1937年~2024年
東京府出身。
Harvardに進学し、Master of Architecture(建築学修士)取得。
Bostonの建築設計事務所で勤務。
1965年…丹下健三の都市・建築研究所に所属し建築家としての仕事を行う。
1975年…独立。自身の「計画・設計工房」設立。
1979年…谷口吉郎建築設計研究所所長に就任。
特徴…幾何学的な直線を基調とした端正なモダニズムデザインと、水面や自然光を取り入れた「静寂と透明感」あふれる空間構成
| 年代 | 建物 | 地域 |
|---|---|---|
| 1989年 | 東京都葛西臨海水族園 | 葛西 |
| 1995年 | 葛西臨海公園展望広場レストハウス | 葛西 |
| 1999年 | 東京国立博物館法隆寺宝物館 | 上野 |
| 2004年 | ニューヨーク近代美術館新館(MoMA) | NY |
| 2009年 | 日産自動車グローバル本社 | 横浜 |
| 2017年 | GINZA SIX | 銀座 |
- 伊東豊雄
-
1941年6月1日~
日本統治時代の朝鮮(現ソウル)出身
1971年30歳で独立。
個人住宅を中心に手掛ける。
90年代に入り、構造上でも実験的で、官能的な外観・内部空間を有する作風に移りつつある。
特徴…ガラスや金属を用いた透明感のある構造と、自然界に見られるような流れるような曲面(有機的なフォルム)を融合させたデザイン。環境との調和を重視し、柱や壁を極力減らすことで、建築と自然が境界なく緩やかに繋がる開放的な空間を生み出す。
| 年代 | 建物 | 地域 |
|---|---|---|
| 1979年 | 小金井の家 | 小金井市 |
| 1982年 | 梅が丘の家 | 世田谷区 |
| 1986年 | 風の塔 | 横浜 |
| 1987年 | 神田Mビル | 神田 |
| 1991年 | 風の卵 | 月島 |
| 2004年 | トッズ表参道ビル | 表参道 |
| 2005年 | ミキモト銀座2 | 銀座 |
| 2006年 | Hôpital Cognacq-Jay | 15 Rue Eugène 75015 |
| 2008年 | 座・高円寺 | 高円寺 |
| 2025年 | シャインハット(万博) | 夢洲 |
- 安藤忠雄
-
1941年9月13日~
大阪府大阪市出身
コンクリート打ちっぱなし建築。
17歳高校在学中にプロボクサーライセンス取得→フェザー級デビュー→1年半で引退。
Il était boxeur professionnel du poids plume quand il avait 17 ans.
中学時代に自宅の建て替えを担当した大工や数学教師の影響から建築に興味を持っていた。
経済的理由で大学に通えなかった為、高校卒業後毎日15時間以上独学で建築の勉強に費やし、本来建築科学生が4年で学ぶ内容を1年間で習得し、1968年27歳で建築士試験に1発合格。
同時に水谷頴介(Eisuke MIZUTANI)の建築事務所でアルバイトをしていた。
1969年…大阪に安藤忠雄建築事務所を設立し、個人住宅を多く手掛ける。
「私の建築は、コンクリートの建物が多い。
コンクリートは20世紀を代表する材料で、なおかつ誰にでも手に入る材料だ。
私は誰にでも手に入る材料をもって、誰にでも世界を創りたいと思う。」
安藤に保護され、事務所で飼っていた迷子の子犬を、ル•コルビュジエにあやかり、コルと名付けた。
特徴…「打ち放しコンクリート」の幾何学的な造形と、内部に劇的に取り込まれる「自然光の演出」。自然や歴史と空間を一体化させ、光や風などの自然要素を建物内で体感
| 年代 | 建物 | 地域 |
|---|---|---|
| 1976年 | 住吉の長屋 | 大阪 |
| 1986年 | 風の教会 (六甲の教会) |
神戸 |
| 1988年 | 水の教会 | 占冠村 |
| 1989年 | 光の教会 | 茨木市 |
| 1992年 | ベネッセハウスミュージアム | 直島 |
| 1995年 | ユネスコ本部瞑想の空間 | パリ |
| 2004年 | 地中美術館 | 直島 |
| 2006年 | 表参道ヒルズ | 表参道 |
| 2007年 | 21_21 DESIGN SIGHT | 六本木 |
| 20011年 | Château la coste | Aix-en-Provence |
- 隈研吾
-
1954年8月8日~
神奈川県横浜市出身
1964年…東京五輪建築を見て建築家を志す。
日本設計→戸田建設→コロンビア大学建築・都市計画学科客員研究員→1990年…隈研吾建築都市設計事務所設立。
2008年…パリにKuma & Associates Europe設立。 - 作風
-
初期はポストモダニズム(le postmodernisme)に一部脱構築主義(le déconstructivisme)要素を加えた建物を発表していたが、高知県の木造芝居小屋「ゆすはら座」存続への関わりを機に、木材等の自然素材を生かした建築や、縦格子(la grille en bois)を多用した作品を多く手掛ける。
木材を多用し始めたのは、阪神・淡路大震災(1995)と東日本大震災(2011)を見て、コンクリート等の人工物(le matériau artificiel comme le béton)で自然に立ち向かう困難さを実感。
また大型の公共建築物が「税金の無駄遣い」「環境破壊」と批判される時代で、周囲に調和した「コンクリートと鉄の時代」を「木の時代」に変える。
2010年代には、自らのデザインポイントの一つとして、ストラクチャーを際立たせ過ぎない為の「粒感(granuleux)」を挙げている。
「粒っぽさを感じられる事が生物にとっての気持ち良さに繋がる」
「馬頭町 広重美術館」
等を例に、どのくらいの寸法、ピッチで配置していくと「粒っぽさ」が感じられるか、その間隔や大きさの設定が大事であると指摘。
こうした粒感の設定では、
「現場に行って歩き回ってみること。自分の身体でつかまないと分からない」とし、
「歩いて得られる情報はすごく重要。日頃から歩く行為が生活の中心になるようにしている」とも語った。 - 批判
-
木材を雨ざらしに多用した建築は腐りやすく、2020年代に入ってから竣工から20年を過ぎた作品で経年変化によるトラブルが相次ぎ、実際に改修に数億円を要した実例もある他、高知県の雲の上のホテルの様に劣化が酷く、止むなく解体後再開の目処が立たない施設もあり、長期的メンテナンスを考慮していないという批判が噴出し始め、これを建築家の森山高至は「クマ被害」「隈タイマー」などと評した。
2025年2月には、隈設計による2018年竣工の群馬県富岡市庁舎の軒裏に、完成後わずか6年で金具や鉄部に錆(la rouille)が発生し、塗装剥落を確認。
軒裏に使用された合板に注入した不燃薬剤が塗料を溶解させ、鉄部を腐食させたと考えられる。
修繕工事にかかる費用は隈主宰の設計事務所と施工業者が負担することとなった。
隈自身は、腐朽の原因を「最近の気候変動が原因」と説明。 - 木材腐朽問題
-
問題の起きた馬頭広重美術館は、隈建築の特徴である木製ルーバーが初めて高い評価を受けた建築。
1990年代は建築家の間でも評価が低かった隈だが、広重の描く雨の線が細く美しいことに着想を得て、屋根まで全てを細い木材で覆った同美術館の建築が評判を呼び、この成功を機に「木の匠」として持て囃されるようになる。
しかし、建築関係者の間では、今回の騒動が起きる前からその「木を使うデザイン」を多用する隈に対する疑念の声はあった。
建築家で棟梁でもある宇野友明は、
「隈のデザインは木造建築というよりも、木を表面に貼る『木のデコレーション』のような印象だ。なかには木ですらなく、アルミに木目をプリントしたものもある。『木の匠』と評されていることには疑問を抱いている。木造建築は『手入れ』という、維持管理を計画的に行う文化があるが、これがクライアントに十分説明がなされていないのではないか。馬頭広重美術館の木の使い方は特に深刻な事態だが、今後も同じような問題は起きるだろう。彼の影響力を考えると、今回の件で木造建築にネガティブな印象が広まったことは残念だ」
と述べた。
同美術館では24年後に3億円に上る大規模改修が必要となり、見た目がボロボロで地元の人は寄りつかなくなった。
直接風雨にさらされる個所には、通常は油分の多い雨にも強い木材を使用すべきなのに杉(le cèdre)を使った点が問題で、安価な木材を使用した点と、建築家としてここまでの状態にならないように綿密に設計し、自治体にメンテナンスを周知徹底させることを怠ったなどと指摘された。
2000年の那須歴史探訪館でも屋根に並べ敷かれた丸太にはカビ(le moisi)が生え、部分的に腐朽が進み、雨漏り(la fuite d'eau de pluie)を確認。
前述の森山は、日本は高温多湿の国であり、日本建築では古来、雨がかからないように、あるいは湿気が抜けるような工夫を凝らし、神社や寺を造ってきた。
白木その物に問題があるのではなく、伝統的な建築の知恵を完全無視し、モダン建築の石やガラス、鉄で作る物を木で作った。
だからこの様な問題が起きた。
木が古くなってもそれが風格に変わるような造りやデザインとしてきた。
京都の清水寺も何百年経っているが今でも素晴らしいという印象を与え続けている。
隈建築では古びさせ方がおかしい。
適材適所を無視し安く湿気に弱い杉材を雨にかかるような場所に使った点に問題があったなどと批判。 - 背景
-
隈研吾の設計は国内だけで200を超すが、仕事受注の背景には「デザイン性の高さ」とは別に、国による国産材料の使用推進と、その需要に応えたのが大きい。
その上、氏は仕事を決して断らないスタンスを維持し、低予算でも受注する。
通常、建築家が個性を演出するには莫大な時間や熱量が必要であり、大量の依頼は捌けない。
この為、隈が編み出した方法が木製ルーバー(la persienne en bois)で、これを建物に施すことで『隈建築』とわかるように演出。
また、隈が東京大学の内田祥哉研究室出身だが、内田研は建築界の頂点といわれるほど権威のある研究室であり、多くのゼネコンのトップが内田研の出身である為、そのコネや人脈を利用して量産される作品で、将来的に施主らに負担を強いるのは、世界的建築家に相応しくないとの批判が出た。 - 新国立競技場は、47都道府県で産する木材を大量に使用しており、各都道府県の日本列島における地理的方角に合わせて東西南北の然るべき箇所に配置している。
| 年代 | 建物 | 地域 |
|---|---|---|
| 1991年 | M2ビル | 砧 |
| 2004年 | 「食と農」の博物館 (東京農業大学施設) |
用賀 |
| 2007年 | サントリー美術館 | 六本木 |
| 2008年 | ティファニー銀座 | 銀座 |
| 2009年 | 根津美術館本館 | 青山 |
| 2010年 | 赤城神社 | 神楽坂 |
| 2011年 | スターバックスコーヒー 太宰府天満宮表参道店 |
太宰府 |
| 2012年 | 浅草文化観光センター | 浅草 |
| 2012年 | Frac Sud | Marseille |
| 2013年 | GINZA KABUKIZA | 東銀座 |
| 2013年 | JPタワー商業施設 「KITTE」 (内装環境設計) |
丸の内 |
| 2013年 | サニーヒルズ南青山店 | 南青山 |
| 20015年 | 京王電鉄高尾山口駅駅舎 | 高尾山 |
| 20019年 | 新国立競技場 | 千駄ヶ谷 |
| 20020年 | 高輪ゲートウェイ駅 | 高輪 |
| 20021年 | 鍋島松濤公園トイレ | 神泉 |
| 20021年 | 村上春樹ライブラリー | 早稲田大学 |
| 20022年 | オカカフェ | 立川 |
| 2024年 | La station de Saint-Denis-Pleyel |
Paris |
- 團紀彦(Dan Norihiko)
-
1956年2月11日~
神奈川県三浦郡葉山町出身
槇文彦に師事。
イェール大学(L'université Yale)大学院。
帰国後に建築事務所設立。
特徴…建築と周囲の自然環境を一体化させる「共生」の理念と、伝統的な町屋の空間構成を現代に活かす「街路再生型の都市デザイン」。土木やランドスケープ(景観)の視点も取り入れ、ダイナミックで有機的な空間を創造
| 年代 | 建物 | 地域 |
|---|---|---|
| 2013年 | 表参道Keyakiビル | 表参道 |
| 2010年/2014年 | COREDO室町Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ | 三越前 |
| 2019年 | Marks Ginza | 銀座 |
| 2019年 | Arrows AOYAMA | 表参道 |
- 青木淳
-
1956年10月22日~
神奈川県横浜市出身
1982~91年…磯崎新アトリエ勤務。
1991年…青木淳建築計画事務所設立。
ポストモダニズムの気質を残しつつ近代の思想を継承する建築家の1人。
また、彼の思想「白く塗れ」を提唱し、個々の作品ではモノ同士のヒエラルキーを無くす事を意図している。
特徴…「原っぱ」のような自由で流動的な空間設計と、素材や各要素が重なり合う全体性の構築。住宅から公共施設、ルイ・ヴィトンなどの商業空間に至るまで、既存の定型にとらわれず、訪れる人の身体的体験を重視した建築を創造
| 年代 | 建物 | 地域 |
|---|---|---|
| 1999年 | Louis Vuitton 名古屋ビル |
名古屋 |
| 2000年 | Louis Vuitton 松屋銀座店 |
銀座 |
| 2002年 | Louis Vuitton 表参道ビル |
表参道 |
| 2003年 | Louis Vuitton 六本木ヒルズ店 |
六本木 |
| 2004年 | Louis Vuitton ニューヨーク |
ニューヨーク |
| 2004年 | Louis Vuitton 銀座並木通り店 |
銀座 |
| 2006年 | Louis Vuitton 香港ランドマーク店 |
香港 |
| 2012年 | Louis Vuitton 博多店 |
博多 |
| 2020年 | Louis Vuitton Maison 大阪御堂筋 |
大阪 |
| 2025年 | TIFFANY銀座 | 銀座 |
- 坂茂
-
1957年8月5日~
東京都出身
高校卒業後、1977年(19歳)渡米。
語学学校に通った後、1978年から2年半、南カリフォルニア建築大学でまなび、1980年に念願のLa Cooper Unionに編入。
1982~83年の1年間を磯崎新のアトリエに在籍した後、復学。
1984年に同大学建築学部を卒業。
1985年、東京に株式会社坂茂建築設計を設立。
1999年、ニューヨークにも事務所を開設。
2003年にCentre Pompidou-Metzのコンペを勝ち取り、翌2004年パリにも事務所を開設。
特徴…再生紙で作られた紙管や木材など、身近で環境に優しい素材を用いた革新的な構造デザイン。また、被災地での仮設住宅や避難所づくりなど、建築を通じた社会貢献(災害支援活動)でも世界的に高く評価
| 年代 | 建物 | 地域 |
|---|---|---|
| 2007年 | ニコラス・G・ハイエックセンター | 銀座 |
| 2010年 | Centre Pompidou-Metz | Metz |
| 2017年 | La Seine musicale | Boulogne-Billancourt |
- 藤本壮介
-
1971年8月4日~
北海道出身
子供時代に実家にあったガウディ(Antoni Gaudí)の写真集を見て衝撃を受ける。
2000年、藤本壮介建築設計事務所設立。
特徴…「建築と環境(自然)の境界を曖昧にする」建築哲学。内と外、人工物と自然を美しく溶け合わせ、森のように多様で予測不可能な空間体験を創り出す。
| 年代 | 建物 | 地域 |
|---|---|---|
| 2014年 | Many Small Cubes | Le jardin des Tuileries |
| 2014年 | Omotesando Branches | 表参道 |
| 2015年 | 直島パヴィリオン | 直島 |
| 2019年 | L'Arbre Blanc | Montpelier |
| 2020年 | 白井屋ホテル | 前橋 |
| 2028年 | Torch Tower | 大手町 |
- 中村拓志
-
1974年2月12日~
東京生まれ。
石川県金沢市、神奈川県鎌倉市で少年時代を過ごす。
1997年、明治大学理工学部建築学科卒業。
1999年~2002年…隈研吾建築都市設計事務所。
2002…株式会社NAP建築設計事務所設立。
特徴…人間や自然の「振る舞い」を出発点とし、土地の歴史や気候に根ざした「そこにしかない建築」を追求
| 年代 | 建物 | 地域 |
|---|---|---|
| 2004年 | Lanvin Boutique Ginza | 東銀座 |
| 2012年 | 東急プラザ表参道原宿「オモカド」 | 表参道 |
| 2012年 | GRAZ | 等々力 |
| 2014年 | Sarugaku Cyclone | 代官山 |
| 2022年 | 上野東照宮 神符授与所/静心所 | 上野 |
- 田根剛
-
1979年9月124日~
東京生まれ。
北海道東海大学芸術工学部建築学科在学中にスウェーデンのHDKとシャルマス工科大学へ留学。
在学中に坂茂、SANAA、藤本壮介の元でインターシップを経験。
大学卒業後はデンマーク王立アカデミー客員研究員となる。
2006年、国際コンペ「エストニア国立博物館」で、Dan Dorell(イタリア)とLina Ghotmeh(レバノン)らとのチームが最優秀賞を受賞し、パリを拠点にDGT.(Dorell.Ghotmeh.Tane/Architects)を共同設立。
2016年10月1日、「エストニア国立博物館」がオープン。
「エストニア国立博物館」完成を機にDGT.を解散。
2017年、新たにパリを拠点としたAtelier Tsuyoshi Tane Architects を設立。
2018年11月、フランスにて「ジャポニスム2018」『パリ東京文化タンデム2018』の企画としてパリ市庁舎前に巨大な風呂敷のパビリオン「FUROSHIKI PARIS」が設置され大盛況となった。
2019年、La place de la Concorde前のHôtel de la Marine館内に計画された「AL Thani Collection財団」の美術館のコンペに勝利。
日経アーキテクチュアの編集部が選ぶ「10大建築人2019」で1位となり「アーキテクト・オブ・ザ・イヤー2019」を受賞。
2021年、フランス歴史的建造物Hôtel de la Marine館内に「AL Thani Collection財団」の美術館が完成。
カタール国の王族であるシェイク・ハマド・ビン・アブドラ・アール・サーニによる人類の創造と美による古代文明から近現代の様々な芸術品や宝飾品を蒐集する美術館となる。
2022年、帝国ホテル東京の建て替え(2036年竣工予定)の建築家に選定された。
フランス文化庁より芸術文化勲章(L'Ordre des Arts et des Lettres)シュバリエ(Le chevalier)を受賞。
2023年、バーゼル近郊にあるドイツの町ヴァイル・アム・ラインにあるヴィトラ・キャンパスに「Tane Garden House」が竣工。
広大な敷地にフランク・ゲーリーやザハ・ハディドなど世界的に著名な建築家による建物が集められ、同建築は、篠原一男「から傘の家」、安藤忠雄「カンファレンス パビリオン」、SANAA「ファクトリー ビルディング」に続き、日本人建築家による4番目の建物となる。
特徴…その土地の歴史や文化を徹底的にリサーチし、土地に眠る「記憶」を掘り起こしてデザインに昇華させる「場所の記憶(Archaeology of the Future)」というアプローチ
| 年代 | 建物 | 地域 |
|---|---|---|
| 2014年 | Grand Palais「北斎展」 | パリ |
| 2015年 | とらやパリ店 | パリ |
| 2019年 | GYRE.FOOD | 表参道 |
| 2019年 | Restaurant MAISON Sato Atsumi | 3 Rue Saint-Hubert 75011 |
| 2020年 | Restaurant KEI | 5 Rue Coq Héron 75001 |
- SANAA
-
1995年…妹島和世(1956~)と西沢立衛(1966~)による建築家ユニット。
2004年…金沢21世紀美術館がLion d'or à La Biennale de Venise.
2013年…Le Louvre-LensがLe prix de l'Équerre d'argent.
特徴…ガラスを多用した透明感のある開放的な空間と、光や自然環境を巧みに取り込む有機的で軽やかなデザイン。街や自然とシームレスに繋がる独自の建築美は、世界中で高く評価
| 年代 | 建物 | 地域 |
|---|---|---|
| 2003年 | Dior表参道 | 表参道 |
| 2004年 | 金沢21世紀美術館 | 金沢 |
| 2006年 | 海の駅なおしま | 直島 |
| 2012年 | Le Louvre-Lens | Lens |
- MVRDV
-
1991年に設立されたオランダのロッテルダム(Rotterdam)を拠点とする建築家集団。
特徴…徹底したデータ分析とリサーチに基づく「ダイアグラムの建築化」と、高密度と多様性を融合させたユニークな形状(巨大なアーチや山型のフォルムなど)が最大の特徴。機能性やサステナビリティを追求しつつ、見る者に強いインパクトを与える大胆なデザインを数多く生み出す - Winy Maas(1959~)
- Jacob van Rijs(1964~)
- Nathalie de Vries(1965~)
| 年代 | 建物 | 地域 |
|---|---|---|
| 2007年 | GYRE | 表参道 |
- KDa
Klein Dytham architecture -
1990年に設立された代官山を拠点とする建築家ユニット。
1988年に来日し、1990年まで伊東豊雄建築設計事務所に在籍。
特徴…特定の様式に囚われない「ノー・スタイル」を掲げ、遊び心のあるデザイン、アイコニックな造形、そして人が集まり交流を生み出すヒューマンスケールな空間造り - 🇬🇧Mark Dytham(1964~)
- 🇮🇹Astrid Klein(1962~)
- 🇯🇵Yukinari Hisayama(1973~)
- 久山幸成
- KDaの手掛けるほぼ全プロジェクトに携わっており、主な作品はDAIKANYAMA T-SITE、GINZA PLACE等。
| 年代 | 建物 | 地域 |
|---|---|---|
| 2005年 | ユニクロ銀座店 | 銀座 |
| 2011年 | Daikanyama T-SITE | 代官山 |
| 2016年 | GINZA PLACE | 銀座 |
| 2018年 | SHISEIDO THE STORE(内装) | 銀座 |
| 2021年 | Toggle Hotel | 水道橋 |
| 2023年6月 | Fender Flagship Tokyo | 原宿 |
| 2023年12月 | KEF Music Gallery TOKYO | 表参道 |
| 2024年 | Olive LOUNGE Shibuya | 渋谷 |
| 2025年 | Cartier銀座4丁目Boutique | 銀座 |
建築様式
- 入母屋造
-
le type de toiture comprenant quatre longues pentes et deux pignons.
Composant la maison à pignon(切妻造) en haut et le toit en croupe(寄棟造) en bas. -
上部に切妻造、下部に寄棟造と、異なる構造を持つ。
弥生時代(10e siècle avant Jésus-Christ~3e siècle)
切妻屋根は寄棟屋根よりも尊ばれ、その組み合わせである入母屋造は最も格式高い。
切妻部分と寄棟部分の角度が統一できていないものは錣(しころ)屋根。
メリットは、 - 格式が高い
-
高い耐久性
…4方向をカバーする屋根面によって風の影響を受けにくく、全方向から雨を防ぐ為、外壁の腐食や塗装の剥がれ防止効果もある。 -
高い通気性…
高低差のある構造によって、屋根裏が広く、効率的な空気循環が望める。
通気性が良く、夏は涼しく、屋根裏が室温を外に逃さない為、冬は暖かい。 -
費用…
構造が複雑な為、工期が長くなり人件費がかかる。
そもそも扱える職人が多くない。
メンテナンスにも多額の費用がかかる。 -
雨漏り…
構造上、合わせ部分が多い為、雨漏りのリスクが高い。 -
耐震性…
2種類の屋根を複合している為、屋根が重く、耐震性に難。
最近は瓦ではなく、金属材などで軽量化が図られている。
- 両流造
-
切妻造の正面と背面の屋根を伸ばし、庇とした形。
また、入り口側の庇のみ延伸している場合を単に「流造(ながれづくり)」と言う。
- 破風
- 屋根の妻側の端の部分。
- 屋根への雨水の侵入を防ぐ。特に横や下から吹く風から守る。
- 防火性向上。
- 雨樋の下地の役割。
- 懸魚
- 元々は棟木等の木口を隠す実用的なものだったが、水に縁の深い魚を懸け、防火の意味も込められている。
- 蕪(かぶら)懸魚
- 蕪(le navet)や武具の鏑(かぶら)に似たふくよかな形状が特徴。
- 猪目懸魚
- ハート型の「猪目」と呼ばれる文様がくり抜かれたもの。
- 三花懸魚
- 花や葉を図案化した格式の高い装飾が特徴。
- 裳階(もこし)
-
寺院や仏塔等の軒下に付く庇状の小さな屋根。
実際より階数が多いように見せる。
壁や柱が直接雨に濡れて傷むのを防ぐ。
- 釘隠し
-
日本建築において釘を隠す装飾。
本来は実用の為に付けられたが、建築装飾が豊かになった桃山時代(16世紀後半)以降、金や銅などで意匠を凝らした飾り金具が多く作られた。
- 鰹木
-
神社本殿等に見られる、屋根の上に並べられた丸太。
本来は棟の針目を覆い補強し、雨の侵入を防ぐ。 - 千木
-
屋根の棟に立てられたX字状の部材。
本来は破風板と一体になった部材だった。
鰹木同様、元々は屋根の補強目的だったが今は装飾的要素が大きい。
建築構造
- シェル構造
La structure en coquille -
薄い曲面状の板を外郭とする建築構造。
- 東京カテドラル聖マリア大聖堂
- 東京大学弥生講堂アネックス
- ラーメン構造
La structure de cadre rigide -
垂直の柱と水平方向に繋ぐ梁で長方形(le rectangle)を構成。
壁が出ない為、自由に設計でき、高層建築も可能に。- 東京大学弥生講堂アネックス研究棟
- 国立西洋美術館
- JRタワー(KITTE丸の内)
- 壁式構造
La structure de style de boîte de murs -
柱と梁の代わりに床天井壁と6枚の壁で空間構成する構造。
ラーメン構造より地震に強く、低層マンションに向く。 - ブレース構造
-
柱と梁で組まれた四角形の骨組に斜めの補強材(ブレース=筋交い=斜材)を配置し、地震や風による横からの力(水平荷重)に抵抗する建築構造。
三角形の安定性を利用し、変形を防ぐ事で高い耐震性を発揮。 - カンチレバー構造
en porte-à-faux -
梁やスラブの部材の片側だけが固定され、他方が自由になっている片持ち式の構造。
マンションのバルコニーや片側廊下など。- 東京国立博物館法隆寺宝物館
- PRADA青山店
- 永代橋
- 葛西橋
- 白鬚橋
- ホキ美術館
- 江島神社エスカレーター棟
-
帝冠様式
Le style d’architecture teikan de début 20ème siècle, mixte de la structure de base moderne et de la toiture néoclassique. -
鉄骨造りや鉄筋コンクリート造りの建物に日本式の屋根が乗った昭和初期の建築様式。
- 東京国立博物館本館
- プレーリースタイル
Le style prairie -
草原(la prairie)様式。
低層で水平に伸びて大地と溶け込む。
FLライトの初期の作品で多く見られる。- 自由学園
- 胡粉
La poudre des coquillages d'huître -
木口は繊維(la fibre)の断面なので、水を吸いやすく(absorber)、乾きにくい。
故に腐りやすい(pourrir)。
その為、貝殻由来の胡粉(ごふん)という顔料(le pigment)塗って保護。
現在はペンキ(la peinture)で代用する事もある。
また、木材保護と同時に装飾の意味もある。
地震と建築
- 耐震の歴史
-
1891年10月…岐阜県で濃尾地震(Magnitude 8.0)
耐震構造の本格的な研究(la recherche)開始
1919年公布・1920年施行…日本初の建築法規「市街地建築物法」制定。
百尺規制も記載。
1923年9月1日…関東大震災(Mw7.9)発生。
木造家屋だけでなく、欧米輸入のレンガ建造物の倒壊被害続出。
1924年…市街地建築物法に「耐震規定」制定。
これが世界初の耐震規定
1943年9月 鳥取地震(Mw7.4)
1944年12月 東南海地震(Mw8.0)
1945年1月 三河地震(Mw7.1)
1946年12月 南海地震(Mw8.1)
1948年6月 福井地震(Mw7.3)
1950年…「建築基準法」制定。
→建物に最低限必要な壁の量を定める「壁量規定」導入(いわゆる旧耐震基準)。
同時に「市街地建築物法」廃止。
1978年6月…宮城県沖地震(Mw7.4)
鉄筋コンクリートに被害が生じ、のちの改正に影響を与える。
1981年…「建築基準法」大幅改正(新耐震基準導入)。
宮城県沖地震を受けて、震度6〜7程度の大規模地震でも倒壊しない基準へ改正。
1995年1月…阪神淡路大震災(Mw7.2)
新耐震基準法設計の建物の被害は少なかったものの、震源近くの地域では倒壊相次いだ。
同年、建築基準法改正。
2000年…建築基準法改正
阪神・淡路大震災を受けて、地盤に応じた基礎の設計や、耐力壁の配置バランス、金物の仕様が明確化。 - 旧耐震と新耐震
- 旧耐震基準(1951~1981)…震度5程度の中規模地震で大きな損傷を受けないレベル
- 新耐震基準(1981~2000)…震度6強〜7程度の大規模地震で倒壊・崩壊しないレベル
- 2000年基準(2000~現行)…新耐震をベースに、木造住宅の地盤・基礎・金物・壁のバランス配置をさらに義務化・明確化
- 新築における耐震義務
-
全ての新築建物は、現行の耐震基準(震度6強〜7の大規模地震で倒壊・崩壊しないレベル)に適合させる義務がある。
2000年にさらに強化された基準があり、地盤に合わせた基礎の設計や、柱と接合する金具の取り付け、壁のバランス良い配置が実質的な義務。
建物を建てる前には行政や民間審査機関へ「建築確認申請」を行い、耐震性などの基準を満たしているか審査を受ける必要がある。
建築基準法は「倒壊して命を落とさない」ための最低限の義務。
建物自体の損壊を防いで住み続けたい場合は、より高い基準である「耐震等級(品確法)」の取得(任意)を検討するのが一般的。
| 耐震基準 | 震度5程度の中地震 | 震度6強程度の大地震 |
|---|---|---|
| 旧耐震基準 (1981年5月31日以前) |
倒壊・崩壊しない | 規定がなかった |
| 新耐震基準 (1981年6月1日以降) |
軽微なひび割れ程度 | 倒壊・崩壊しない |
| 免震 | 制震 | 耐震 | |
|---|---|---|---|
| 方法 |
建物と地盤の間に免震装置を設置。 建物を地盤から離すことで、地震の揺れを直接伝えない。 |
建物に錘(おも)やダンパーなどの制震部材を組み込む。 |
建物自体を頑丈に造り、強度を上げる。 柱を太くしたり、壁を厚くしたりと、現在の日本の法律で義務化されている内容。 |
| メリット | 揺れ自体を大幅にカットでき、家具の転倒などを防ぐ。 | 高さのある建物に効果的で、コストも免震工事よりも安価。 | リフォームで対応可能で、コスパが良い。 |
| デメリット | 建築コストがかかり、垂直の揺れには効果が薄い。 | 一般住宅向けの施工もあるが、基本的にはビルなどの高層建築向き。 |
建物の倒壊を防ぐのが目的であり、揺れの軽減にはならない。 家具の転倒に注意。 また、繰り返しの地震によるダメージの蓄積が懸念。 |
- 境界線付近の建築の制限
-
民法(Le droit civil)第234条
- 建物を築造するには、境界線から50cm以上の距離を保たなければならない。
-
前項の規定に違反して建築をしようとする者があるときは、隣地の所有者は、その建築を中止させ、又は変更させることができる。
ただし、建築に着手した時から1年を経過し、又はその建物が完成した後は、損害賠償の請求のみをすることができる。
違反した場合、隣人は合法的に介入可能。
ただし、着工1年経過、又は竣工後は、損害賠償請求のみ可。 -
民法第235条
- 境界線から1メートル未満の距離において他人の宅地を見通すことのできる窓又は縁側(ベランダを含む。次項において同じ。)を設ける者は、目隠しを付けなければならない。
- 前項の距離は、窓又は縁側の最も隣地に近い点から垂直線によって境界線に至るまでを測定して算出する。
-
民法第236条
前二条の規定と異なる慣習があるときは、その慣習に従う。
百尺規制
- 百尺規制
La réglementation de 100 pied(30m) -
1920~1960年代前半(東京五輪前)迄。
1920年末に六大都市(東京、横浜、名古屋、京都、大阪、神戸)で適用。
建物の高さを100尺(30.303m)に制限。
理由は、火災時の延焼防止(保安)、換気・採光(衛生)、交通量の抑制(交通)。
英国法の100フィート(pied)(30.48m)制限に倣った。
1926年、全国41都市に拡大。
1931年、法改正により高さ制限は尺貫法による100尺(約30.303m)からメートル法による31m(102.3尺)に変更された。
31mは凡そ百尺と見做され、法改正後も「百尺規制」と通称。
戦後占領期の1950年代も法改正こそあったが、制限31m継続。
ただし、特例で31mを超える高さも可能だった為、独立後の1953年に高さ41.23m、12階建ての大阪第一生命ビルや、1954年に高さ43m、11階建ての東急会館竣工。
いずれも軒高としては当時日本一の高さだった。 - 都市部の弊害
-
百尺規制により9階建相当の建物しか建設できなかったがその分、都市部では同じ高さに揃ったオフィス街が各所に形成。
特に規制施行直後の1923年9月1日の関東大震災後の都心では帝都復興院の指導の下、多くの民間のビルが規制限界の高さで建設され100尺のビルが連続するスカイラインを形成。
また都心では地価に見合った収益をあげる為延べ床面積をなるべく広くとろうとするあまり、各々の階の天井を低くして100尺の高さに10階分を詰め込んだり、規制が緩い地下を掘り地下6階建てのビルが出現する等、高さ規制が防災や健康に影響を与える様になり規制の見直しが行われた。
なお、当時日本で最も高い建物は国会議事堂(1936)の中央塔(65m)。 - 容積率規制
Le coefficient d'occupation du sol(COS) -
東京五輪前の建設ラッシュ期に建築基準法が改正され、1961年に特定街区制度、1963年に容積地区制度が創設。
これらにより、百尺規制を初めとする絶対高さ規制が廃止されて、容積率による規制が導入され始めた。
すると高さ31mを超えるビルが建てられるようになり、特定街区の指定第1号である「東京都市計画霞が関3丁目特定街区」に、日本における最初の超高層ビルとされる霞が関ビルディングが建設された(1968年竣工)。
しかし、1960年代の日本における高さ100m以上の超高層ビルは、同ビルと1969年に竣工した高さ109mの神戸商工貿易センタービルの2棟のみに留まった。
一方で、1966年後半に取り壊された東京都・丸の内の東京海上日動ビルディングの跡地には、前川國男設計で30階建て高さ127mの超高層ビルが立つ予定であったが、1967年に東京都がこれを却下したことから「美観論争」が起こった。
皇居の堀端にあったこの地域は戦前の美観地区であり、新しいビルが百尺規制のスカイラインを崩して皇居を見下ろしかねないことから激しい争いとなったが、1970年、高さをぎりぎり100m以下の99.7 mにすることで、結局高層ビル自体の建設は認められた。
1970年6月1日の建築基準法改正によって絶対高さ制限が撤廃され、容積率規制が全面導入された。
すると、地方都市でも高さ31mを超えるビルが建ち始めた。
また、新宿副都心などの開発計画が本格化し、1970年代末には国内の100m以上の超高層ビルが30棟を超えた。
その為、この頃に日本の都市部では超高層化時代に突入したといえる。
百尺建築の建て替えに関しては、東京丸の内で象徴的なように、百尺規制にあわせた旧建物のファサードのイメージを残して外壁デザインを100尺を境に変えたり、100尺の低層部の上にセットバックした高層部がのっかる墓石のような形の超高層ビルが見られる(丸ビル等)。 - 容積率
-
自治体毎に数値が異なる。
延床面積(la surface au plancher au total)/敷地面積(la surface au terrain)×100=容積率(%)
住居系…50~500%
商業系…~1300%
また、住宅の地下室や共有廊下や階段、自動車車庫等は一定の範囲内で延床面積の合計から除外できる。
- ペンシルビル
l'immeuble comme le crayon -
狭い土地に立てられた中層建築物の通称。
奥が深く、縦に細長い形を鉛筆(le crayon)に例えた。
特徴は、狭い間口、ロビー等が存在しない1階部分、容積率や建蔽率一杯にフロアを設けた建て方。
日本の大都市に多く見られる建築物で、土地の狭さを補うための手法であるが、一般的なビルに比べ土地の効率的利用で劣り、避難路が狭い等の問題がある。
バブル時代(1986年12月~1991年2月)には税金対策として流行。
土地が狭い香港や日本独特のスタイル。
建築用語
- モルタル【砂+セメント+水】…le mortier
- 石積み工事、煉瓦積み工事…la maçonnerie
- アスファルト【砂利+砂+瀝青材料:数時間程度で硬化/排水性有り】…un asphalte
- コンクリート【砂利+砂+セメント+水:1ヶ月程で硬化/水を通さない】…le béton
- セメント【水や液剤で水和や重合し硬化する粉体】…le ciment
- 瀝青(れきせい)…le bitume
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天然のアスファルト・タール・ピッチなど、黒色の粘着性(adhésif)のある物質の総称。
また、石炭を加圧下でベンゼンを用いて抽出した時の抽出(extraction)物。 - タール…le goudron
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石炭・木炭などの個体有機物の乾留によって生じる黒色または褐色(brun)の粘性の油状物質。
主成分は炭化水素(Un hydrocarbure)。
コールタール・木タール・石油タールなど。 - 乾留…la distillation sèche
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個体の有機物を、外気を遮断して加熱分解し、揮発成分と不揮発成分とに分ける操作。
石炭乾留・木材乾留など。 - ベンゼン…le benzène
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最も基本的な芳香族炭化水素。
特有の芳香をもつ無色、揮発性の液体。
水に溶けにくいが有機溶媒には溶ける。
タールの分別蒸留などで得られ、有毒。
化学薬品の基礎物質となり、燃料などにも用いられる。 - ルーバー…la persienne
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羽板(はいた)と呼ばれる細長い板、または羽板状の部材を平行に複数並べた物の総称。
羽板の角度によって、外部からの目線や日光、風雨等を一定に遮る事が出来、日除け、雨除け、通風換気等に使用。
柵や塀としてや、照明器具やエアコンを隠す事等の、建築物をはじめとして様々な箇所で使用。
また、景観保護のため屋上設備や屋外階段を建物と一体化したデザインにする為にも利用。
羽板の方向は使用箇所により縦の物も横の物もある。
- 下駄箱
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一つ一つの区画…le casier, la case
棚に並べる形…une étagère
蓋付き…le placard à chaussures
- 格子戸…la porte en treillis, la porte à claire-voie
- 格子窓…la fenêtre grillée
- 虫籠窓…la fenêtre en treillis
- 格子…le barreau
- 引き戸…la porte coulissante
- 開き戸…la porte à charnière, la porte battante
- 観音開き戸…la porte à deux battants
- 蔀戸(しとみど)…le volet quadrillé, des ouvertures à battants
空中権
le droit aérien
- 1.土地の上空の空間の一部を使用する権利
- 契約により設定する空間の上下の範囲を定めて土地を独占的に使用する権利をいい、その法的な形式によって「区分地上権」または「区分地上権に準ずる地役権」に分かれる。
- 区分地上権による空中権
- 工作物(例えば空中電線)を所有する目的で上下の限られた空間を排他独占的に使用収益する権利。
- 区分地上権に準ずる地役権による空中権
- 自己の土地(例えば電柱の設置場所)の便益のために他人の土地の空中を使用する(例えば電線を設置する)権利。 いずれも、民法上の物権。
- 2.未利用の容積率を移転する権利
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都市計画で定められた容積率の内、未使用の物を他の土地に移転する権利。
より広範囲で容積率を移転できる制度としては、「特例容積率適用地区制度」(2001年~)がある。
これは、都市計画で一定の区域を定め、その区域内の建築敷地の指定容積率の一部を複数の建築敷地間で移転することを認める制度。
東京都千代田区の一部が「大手町・丸の内・有楽町地区特例容積率適用地区」(116.7ha)として指定され、東京駅の駅舎敷地で未使用となっている容積率(東京駅は復元改修後、それ以上容積率を使用しないで保存される)を、その周辺の新築ビル(東京ビルディング、新丸ビル、丸の内パークビル、八重洲側の南北グラントウキョウビル等)に移転して、本来の容積率以上の高層ビル化を実現。
容積率の移転は建築確認によって認められるもので、当事者が空中権を直接に取引する制度ではないが、容積を移転する敷地に対して移転先の敷地所有者が地役権を設定し、移転敷地所有者にその対価を支払うという方法が取られている。
- 容積率
coefficient d'occupation du sol=COS -
新建築基準法(la nouvelle loi des normes de construction)
1965年施行(中野駅周辺は1968年から適用)
高さ31mまでで容積率737%
それまでの建築基準法では、高さ制限無しで容積率600%
旧法の方が137%も得。
そこで、旧法が適用される間に建物を企画し、高さを法定の31mに抑える反面、許容される容積率ギリギリに床面積を増やすため、天井を低くして階層を増やし、廊下を少なくして分譲可能床面積を増やし、投下資本回収に努めた。
地下1階から地上4階までは商業施設、5階から10階は住宅。 - 建蔽率
coefficient d'emprise au sol -
本館は敷地いっぱいに建っている。
別館の仲店商店街側にタワー式駐車場のデッドスペース(現在は駐輪場)を活用することで、本館別館合わせて建蔽率の規制をクリア。