岡山県
岡山県 | 岡山市 | 倉敷市 | |
---|---|---|---|
面積 | 7,000㎢ 【17位】 |
790㎢ | 355㎢ |
人口 | 1,880,000人 【20位】 |
720,000人 | 470,000人 |
人口密度 | 263人/㎢ 【24位】 |
911人/㎢ | 1,327人/㎢ |
目次
- 後楽園
- 開園...1700年
- 1597年...築城
- 1686年...河川
- 1700年...造園
- 面積...14.4ha(144,000㎡)
-
時間...3/20~9/30 7:30~18:00(17:45最終)
10/1~3/19 8:00~17:00(16:45最終) - 料金...15歳~64歳410円/65歳以上140円
- 特徴...日本三名園、岡山城を守る軍事庭園
-
16世紀後期、岡山藩主宇喜多秀家が岡山城を築城。
この時、旭川を城と城下町の防御を固める堀(fossé)として用いるため、流路を城の手前で大きく東方へ曲げて(courber)城の北東面に沿わせる形にした。
実際、城と城下町の防御は堅牢になったが、あまりに不自然(très artificiel)な流路となった為、岡山城下はたびたび洪水被害に遭った。
藩主が宇喜多氏から小早川氏を経て池田氏へ変り、4代目池田綱政の治世となる。
(※姫路城主池田輝政は曽祖父arrière-grand-pèreにあたる)
綱政は、放水路として百間川を開削するなど、抜本的な洪水対策を行った。
1686年、百間川が完成し、藩の財政にも余裕が出てきたので城北側の旭川沿い低湿地に自らの休憩の為に庭園を作るように命じ、1700年に後楽園が完成。
「後楽園」という名称は、1695年頃に城の背後(un arrière)にあることに由来する。
藩主の休憩所として造園されたが、幕府が大名の生活を厳しく監視していた時世、他藩の藩主や客人等が岡山に来訪した際にはすべて岡山城内で接待していた。
後楽園で客人をもてなすようになったのは、幕府の力が衰えた幕末になってからの事。 - 延養亭
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藩主の居間として作られた建物。
戦災で焼失するも、1960年に復元。
縁側から園内が一望できるように設計。 - 庭石
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同県犬島産の自然石。
ひとつの石で陰陽を表す。
花葉池畔の大立石は、高さ7.5m、周囲23m、92個に割って運び出し、元の姿に組み直した。
慈眼堂境内の陰陽石は、烏帽子岩と言い、高さ4.1m、周囲17m、36個に割って運んだ。 - 唯心山
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それまで平面だった庭園に立体的な景観をプラス。
斜面にはツツジ(azalée)が植えられている。 - 流店
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建物中央に水路を通して、美しい色の6つの奇石を配した構造が特徴。
藩主の休憩所として使用。
戦災を免れた建物の一つ。 - 井田
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江戸時代は、辺り一帯に田畑が広がっていた。
今はこの井田だけが当時の名残を残す。 - 茶畑
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築園当時からこの場所にあった茶畑。
昔は藩主用のお茶として使われたが、今は緑茶や紅茶として園内で購入可。 - 慈眼堂
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池田綱政が建立し、当初は観音像が祀られていたが現代は空堂。
境内の烏帽子岩は花崗岩(le granite)を36個に割った(couper)後、再び元の形に組んだもの。
On avait coupé le granite aux 36 pièces et on en a dressé. - 沢の池
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園内中央にある大きな池で、唯心山との景観は後楽園のシンボル。
池の中には島茶屋がある中の島、釣殿がある御野島(みのしま)が浮かぶ。 - 鶴舎
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かつて岡山後楽園ではタンチョウが飼育されていたが、戦後にその歴史は途絶。
1956年に岡山で学んだ中国人から2羽の寄贈を受け、伝統が復活。
倉敷
- 美観地区
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かつて倉敷は干潟(laisse)に面した港町(une ville maritime)だった。
江戸時代以降(après 17e siècle)、新田開発(exploitation d'une terre)により埋め立てられ(remblayer)、干潟の僅かな残りの部分が入江(anse)となり、海の潮の干満(le flux[フリュ]」 et le reflux)にあわせて船が行き来する運河として機能し始めた。
1642年、江戸幕府の天領に定められた際に倉敷代官所(Administration)が設けられ、以来備中国南部の物資集散地として発展した。
1955年まで船による物資輸送が盛んに行われ、荷物を積み下ろす船溜まりが下流にあった。
しかし1959年、児島湾締切堤防(digue)が作られ、倉敷川は運河としての機能を失ったが、高度成長期(1954年~1973年=période de l’haute croissance)の観光ブームで再び脚光を浴び、1968年に倉敷市による美観地区整備が行われた。
Un site pittoresque a été aménagé par une ville de Kurashiki en 1968.
1969年、美観地区に選定。
1979年、重要伝統的建造物群保存地区に選定。
干拓地(polder)であることから米作に不向きな土地だった。
お米の代わりに木綿(coton)の栽培が盛んに行われていた。
木綿栽培と共に、織り(tissage)や縫製技術を基盤として、帆布(voile)の生産が現在でも国内70%を占める。
メインストリート約350m - 大原美術館
- 1930年に建てられた日本最初の私立西洋美術館。
- 倉敷アイビースクエア
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1889年に建設された倉敷紡績所(la filature)を1973年に改修して作られた複合施設。
名称の由来は蔦(英ivy, 仏le lierre)に起因。
この蔦は、工場であった頃に内部の温度調節の為に植えられた。
イギリスの工場設計を再現した創業当時の煉瓦はイギリス積みを採用。
改修後の煉瓦は長手積みを採用。-
イギリス積み...
煉瓦を長手だけの段、小口だけの段と一段おきに積む方式。 -
長手積み...
煉瓦の長手のみを交互に積む方式。
-
イギリス積み...
大橋家
- 9:00~17:00
- 3月〜11月は無休
- 12/28〜1/3は休館
- 12月・1月・2月は金曜日休館
- 大人500円/高齢者350円/小中学生350円
- 大橋の歴史
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大橋家の先祖は豊臣氏に仕えた武士。
1615年大阪落城の後、京都五条大橋辺りに隠れ住んだ。
幕府の追及を逃れるために大橋姓を称する。
1705年に倉敷に移り住む。
水田や塩田開発を行いつつ金融業を営み財をなす。 - 建物の歴史
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大橋家は倉敷町屋の典型的な代表建築で1978年に国の重要文化財に指定。
街道に面して長屋を建て、その内側に前庭を隔てた主屋を構える。
主屋は入母屋造で本瓦葺、屋根裏部屋を設け、東には平屋建ての座敷。
地方産の松と装飾には欅や杉を使用。
1796年〜1799年にかけて主要部分建築。
1807年と1851年の2度大改造。
90年代頭に保存修理工事施行。 - 内蔵
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類焼を防ぐためにあえて別棟として蔵を造った。
米ではなく、宝物や硬貨などの貴重品を保管。
さらに床下は砂場となっており、通貨を入れた石棺を埋めることで、大火にも耐えた。 - 大竈
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普段は使用されず、祝い事の時にお餅をむしたり湯を沸かしたりした。
神様が宿り、神聖な場所となっている。 - 江戸時代の金庫
- 銀行が無い時代、財産を守るために複雑なカラクリ(le mécanisme)が施された箪笥型金庫(le coffre-fort de l'armoire)。
桃太郎
garçon de pêche
- 物語
Un héros du folklore japonais -
桃から生まれた桃太郎が、老婆老爺に養われ、鬼ヶ島へ鬼退治に出征。
道中遭遇する犬、猿、雉を吉備団子で家来にし、鬼の財宝を持ち帰り郷里に凱旋する。
Un garçon qui est né dans la pêche est allé à une île où il y avait des ogres pour les vaincre.
En chemin, un chien, un sange, est un faisan l'ont accompagné en partageant Kibi-dango des boulettes de pâte de riz.
Après la bataille, ils sont rentrés son pays natal. - 吉備団子
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岡山県の旧称吉備の名産品。
もち米に砂糖と水飴(bonbon sirupeux)と黍(millet)を加えた生地。 - 桃
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古事記に登場する神イザナギが死者の世界である黄泉から脱出する際、追ってくる魔物をに3つの桃を投げて撃退した。
これにより、桃は邪気を払うイメージが定着。 - 猿・雉・犬
-
鬼門の方角は丑寅。
よって鬼は牛の角に虎柄パンツを履く。
裏鬼門に当たる南西から時計回りに申、酉、戌となる。
また、儒教によると、- 桃太郎...健康
- 吉備団子...富(richesse)
- 猿...智(sagesse)
- 鳥...勇(le courage)
- 犬...仁(la fidélité)
備前地区
- 備前焼
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日本六古窯のひとつ。
古墳時代に朝鮮から伝来した須恵器が原型。
鎌倉時代に備前焼が完成し、日用品利用が主流となる。
室町時代、村田光琳により茶道が発達し、茶器としても利用される。
江戸時代、流行に乗れず衰退、国からの保護を受けるも規制も受け、自由に作れなくなる。
衰退が続く中、備前焼復興を願う人々によって個人窯が作られ、一品制作も可能にある。
戦後、明治維新以降、日本伝統文化再評価の流れで人気復活。 - 岡山県備前市伊部地区
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釉薬(※ゆうやく=陶磁器の表面を覆っているガラス質の部分。粘土を成形した器の表面にかける薬品)を一切使用せず、1,200~1,300度の高温で焼成する焼き締める陶器。
高温で約2週間焼き締める為、堅い。
土は「干寄」と呼ばれる田畑から採掘される粘土で、地下2~4mの30~90cmの層から取れ、伊部の北に位置する熊山連峰から100万円以上前に流出した土が堆積したもので、きめ細やかで粘り気があり、鉄分が多く含まれている。
採掘後、最低1~2年野積みにして風雨にさらす。
そうすると、不純物が腐り、土と馴染み、鉄分も除去される。
この干寄に瀬戸内市長船町磯上の黒土を混ぜる。
手びねりやろくろで形成。
窯詰めの際に異なる素材を一緒に焼いたり、炎の強弱、動き、灰の量などで模様が変化するので、作家は長年の経験で焼き上がりを予想するが、最終的には焼き上がるまでわからないので、ふたつとして同じものができない。
登り窯が主流で、傾斜によって炉内のガス対流で温度を高く一定に保てる。
赤松を使用し、火は最低でも7日間、長いと10~12日間炊き続け、作家は交代で火の番をする。
語彙
- Il est dit que + indicatif...〜と言われている
- porcelaine...磁器
- poterie...陶器、陶器造り、製陶工房
- potier...陶工、陶器商
- faïence...陶器
- tesson...(陶器・ガラス等の)破片
- fragment...破片
- tour de potier...轆轤(ろくろ)
16,500年前で世界最古。
縄文・弥生時代にはろくろを使っていない。
5世紀に朝鮮半島(La péninsule coréenne)から陶工が来てろくろや穴窯を使った新しい陶器や須恵器が現れ、備前焼へ繋がる。
- à l'aide de qc...〜を使って
- se caractériser par qc...〜によって特徴づけられる
須恵器の特徴は、形状の繊細さ(la délicatesse de sa forme)と青灰色(de ses couleurs allant du gris au bleu clair)。
- au cours de qc...〜の間に
- aristocratique...貴族の、貴族政治の、貴族主義の、貴族的な、特権階級の
- rugueux...(表面の)ざらざらした
- auparavant...その前に(過去・未来のある時点を基準)
- résistant...丈夫な、耐久性のある
- régner...(王などが)君臨する
須恵器は貴族が支配する平安時代に宗教的儀式などで使われ、鎌倉時代に入ると需要がより多くなり、六古窯が出来た。
六古窯...日本最古の6つの陶磁器窯。
この時から陶器は表面がざらざらし、重くなった。
さらに焼きの温度が上がり、以前よりも耐久性が増した。
- brun rougeâtre...赤茶色
- ainsi que...〜のように
- apogée(m.)...絶頂
- ériger...〜を建立する
- unificateur...1つにする
- un mouvement unificateur...統一運動
- généreusement...気前良く
室町時代(1336~1573)に備前焼はその上質な粘土と控えめな外観と耐久性、そして水の品質を保つ能力により、最も人気になった。
桃山時代(1573~1600)、日本の芸術が最高潮に達した時、備前では長さ50m、幅5mという最大級の窯が建造された。
この時代に史上2度目の日本統一を果たした豊臣秀吉と茶道の大家千利休は備前焼に情熱を持ち、製造を大いに推奨した。
また、多くの陶工が茶道のために作品を製作した。
- en tant que + 無冠詞名詞...〜として、〜の資格で
江戸時代に入ると、茶道の衰退と、安価で大量生産が可能な磁器の登場によって需要が減った。
岡山藩主の池田光政によって開設された日本最古の庶民学校である閑谷学校(1673~1870)の屋根瓦は備前焼と同じ製法で造られた窯変瓦であり、焼き具合いによって1枚1枚色合いが異なる。
また、一般の瓦が寿命60年であるのに対し、閑谷学校の瓦は300年経ってもほとんど割れないまま使用できている。
高い耐久性は高温で焼結されている為であるが、製作過程で変形が起きやすく、屋根に敷いた時に隙間ができて雨漏りしやすいという欠点がある。
そのため、様々な雨水対策が施されている。
- tuyau...管、煙突
- drainage...(湿地の)排水、(資金などの)吸い上げ
- réfractaire...反抗的な、耐熱性の
戦後は岡山の陶芸家・金重陶陽(かねしげとうよう)らが桃山陶への回帰を図り、芸術性を高めて人気を復興察せる。
陶陽は重要無形文化財の「備前焼」の保持者、いわゆる人間国宝に認定された。
- teinte...色合い
- une teinte de + 無冠詞名詞...少しの〜、わずかな〜のニュアンス
- en quelque manière...ある意味で、いわば
備前焼は釉薬を使わずに松の木を入れた窯で8~20日間焼く。
温度が1,250度に達すると、松の木の灰を再び作品にふりかけ、いわゆる「自然の釉薬」でコーティングする。
その結果、作品の1つ1つが異なる色合いを出す。
備前焼を表現するのであれば、控えめで謙虚で、しかし多大な洗練さも併せ持つ焼き物。
- robuste...頑丈な...solide
- texture...(物質の)構造
- sobre...酒を控えた、簡素な、地味な
- acquérir...(土地・家屋・物品等)を手に入れる、(知識・価値・確信等)を得る
- apparence...外観...aspect
- essoufflement...息切れ
- progressivement...徐々に、次第に...graduellement
明治時代とともに日本は海外(西洋)の文化を受け入れるようになり、次第に日本の伝統芸術への関心が減っていき、備前焼にとっても重大な打撃となった。