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岡山県

岡山県 岡山市 倉敷市 備前市
面積 7,000㎢ 800㎢ 350㎢ 260㎢
人口 1,800,000人 700,000人 500,000人 30,000人

目次


後楽園
  • 開園…1700年
    • 1597年…築城
    • 1686年…河川
    • 1700年…造園
  • 面積…14ha
  • 特徴…日本三名園、城を守る軍事庭園
  • 公式サイト
1597年、岡山藩主宇喜多秀家が岡山城築城。
旭川を堀(la douve)にする為、流路を城の手前で東方へ曲げて(courber)城の北東面に流した。
実際、城の防御は堅牢になったが、不自然な流れになり頻繁に氾濫。
藩主が宇喜多氏(1582~1600)から小早川氏(1600~1602)を経て池田氏(1603~1632)へ変り、4代目池田綱政の治世となる。
(姫路城主池田輝政は綱政の曽祖父arrière-grand-pèreにあたる)
綱政は放水路として百間川を開削し洪水対策。
1686年、百間川が完成し、藩の財政にも余裕が出てきたので城北側の低湿地に自らの休憩の為に庭園を作るように命じ、1700年に後楽園完成。
藩主の休憩所として造園されたが、幕府が大名の生活を注視していた時世、客人等が岡山に来訪した際には全て城内で接待。
後楽園に客人を招待したのは幕府の力が衰えた幕末。

延養亭
藩主の居間(le salon)として作られた建物。
戦災で焼失→1960年復元。
縁側から園内が一望できる設計。

能舞台・栄唱の間
能舞台の周囲の座敷は、能の見所や接待の場。
築庭した池田綱政は、家臣や領民にも能を見せた。
次の藩主継政の時に改築→戦災で焼失→その間取りが復元。

庭石
岡山県犬島産の自然石。
ひとつの石で陰陽を表す。
花葉池畔の大立石は、高さ7.5m、周囲23m92個に割って運び、元の姿に組み直した。
慈眼堂境内の陰陽石は、烏帽子岩と言い、高さ4.1m、周囲17m36個に分割して運んだ。

唯心山
それまで平面だった庭園に立体的な景観
斜面はツツジ(azalée)。

流店
建物中央に水路を通し、美しい色の6つの奇石を配置。
藩主の休憩所。
戦災を免れた建物の一つ。

井田
江戸時代は、辺り一帯に田畑が広がっていた。
今はこの井田だけ残る。

茶畑
築園当時からこの場所にあった茶畑。
昔は藩主用のお茶として使われたが、今は緑茶や紅茶として園内で購入可。

慈眼堂
池田綱政が1697年に池田家と領民の繁栄を願って建立し、観音像を祀った。
現在は空堂。
烏帽子岩は花崗岩(le granite)を36個に割った後、元の形に組んだ。

沢の池
園内中央の池
左から島茶屋のある中の島、釣殿のある御野島(みのしま)、白砂青松が美しい砂利島がある。
中の島と御野島の間には、かつての上道郡と御野郡の郡堺があり、今も石標が残る。

鶴舎
かつて岡山後楽園ではタンチョウが飼育されていたが、戦後にその歴史は途絶。
La grue a été élevée.
1956年に岡山で学んだ中国人から2羽の寄贈を受け、伝統復活。

倉敷

美観地区
倉敷は干潟(la laisse)に面した港町(une ville maritime)だった。
江戸時代以降(après 17e siècle)、新田開発(exploitation d'une terre)に埋め立てられ(remblayer)、干潟の僅かな残りの部分が入江(une anse)となり、海の潮の干満にあわせて船が行き来する運河として機能。
1642年、江戸幕府の天領に定められた際に倉敷代官所(une Administration)が設けられ、以来備中国南部の物資集散地として発展。
1955年迄船での物資輸送が行われ、荷物の積み下ろし場が下流にあった。
しかし1959年、児島湾締切堤防(la digue)が作られ、倉敷川は運河としての機能を失ったが、高度成長期(1954~73年)の観光ブームで再び脚光を浴び、1968年に倉敷市による美観地区整備が行われた。
1969年…美観地区に選定。
1979年…重要伝統的建造物群保存地区に選定。
干拓地(le polder)であり、米作に不向きな土地。
米の代わりに木綿(le coton)の栽培が盛ん。
木綿栽培と共に、織り(le tissage)や縫製技術を基盤として、帆布(la voile)の生産が現在でも国内70%を占める。
綿花栽培は江戸時代から明治時代迄
メインストリート…300m徒歩5分
倉敷美観地区〜児島港…20km

大原美術館
1930年に建てられた日本最初の私立西洋美術館。

倉敷アイビースクエア
1889年建設の倉敷紡績所(la filature)を1973年に改修した複合施設。
名称の由来は蔦(英ivy,仏le lierre)。
この蔦は、工場時代に内部の温度調節用に植えられた。
イギリスの工場設計を再現した為イギリス積み。
改修後の煉瓦は長手積み。
  • イギリス積み…
    煉瓦を長手だけの段、小口だけの段と一段おきに積む方式。
  • 長手積み…
    煉瓦の長手のみを交互に積む方式。

大橋家

大橋の歴史
大橋家の先祖は豊臣氏に仕えた武士。
1615年大阪落城の後、京都五条大橋辺りに隠れ住んだ。
幕府の追及を逃れる為に大橋姓を称する。
1705年に倉敷に移住。
水田や塩田開発を行いつつ金融業を営み財を成す。

建物の歴史
大橋家は倉敷町屋の典型的な代表建築で1978年に国の重要文化財に指定。
街道沿いに長屋を建て、その内側に前庭を隔てた主屋を構える。
主屋は入母屋造で本瓦葺、屋根裏部屋(le grenier)を設け、東には平屋建ての座敷。
地方産の松(le pin)と装飾には欅や杉(le cèdre)を使用。
1796~99年主要部分建築。
1807年と1851年の2度大改造。
90年代頭に保存修理工事。

内蔵
類焼を防ぐためにあえて別棟として蔵を造った。
米ではなく、宝物や硬貨などの貴重品を保管。
さらに床下は砂場となっており、通貨を入れた石棺を埋めることで、大火にも耐えた。

大竈
le grand four
普段は使用されず、祝い事の時にお餅を蒸した。
神様が宿る神聖な場所。

江戸時代の金庫
銀行が無い時代、財産を守るために複雑なカラクリ(le mécanisme)が施された箪笥型金庫(le coffre-fort de l'armoire)。

桃太郎
un garçon de pêche

物語
Un héros du folklore japonais
桃から生まれた桃太郎が、老婆老爺に養われ、鬼ヶ島へ鬼退治(vaincre des ogres)に出征。
道中遭遇する犬、猿、雉を吉備団子で家来にし、鬼の財宝を持ち帰り郷里に凱旋する。

吉備団子
une boulette de pâte de riz
岡山県の旧称吉備の名産品。
もち米(du riz gluant)に砂糖と水飴(un sirop de fécule)と黍(le millet)を加えた生地。
※現在は黍を使わない事も多い。
1856年に岡山の老舗和菓子屋「廣榮堂(こうえいどう)」が考案。

古事記に登場する神イザナギが死者の世界である黄泉から脱出する際、追ってくる魔物をに3つの桃を投げて撃退した。
これにより、桃は邪気を払うイメージが定着。

猿・雉・犬
鬼門の方角は丑寅。
よって鬼は牛の角に虎柄パンツ(le caleçon)を履く。
裏鬼門に当たる南西から時計回りに申、酉、戌となる。
また、儒教(le confucianisme)によると、
  • 桃太郎…健康
  • 吉備団子…富(la richesse)
  • 猿…智(la sagesse)
  • 鳥…勇(le courage)
  • 犬…仁(la fidélité)


備前地区

備前焼
日本六古窯のひとつ。
古墳時代に朝鮮から伝来した須恵器が原型。
鎌倉時代に備前焼が完成し、日用品利用が主流となる。
室町時代、村田光琳により茶道が発達し茶器としても利用。
江戸時代、流行に乗れず衰退、国からの保護を受けるも規制も受け、自由に作れなくなる。
衰退が続く中、備前焼復興を願う人々によって個人窯が作られ、一品制作も可能にある。
戦後、明治維新以降、日本伝統文化再評価の流れで人気復活。

岡山県備前市伊部地区
釉薬(un émail)を一切使用せず、1,200~1,300度の高温で焼成する陶器。
高温で約2週間焼き締める為堅い。
土は「干寄」と呼ばれる田畑から採掘される粘土で、地下2~4mの30~90cmの層(la couche0)から取れ、伊部の北に位置する熊山連峰から100万円以上前に流出した土が堆積したもので、きめ細やかで粘り気があり、鉄分が多く含まれている。
採掘後、最低1~2年野積みにして風雨に晒す。
すると不純物が腐り、土と馴染み、鉄分も除去される。
この干寄に瀬戸内市長船町磯上の黒土を混ぜる。
手びねりやろくろで形成。
窯詰めの際に異なる素材を一緒に焼いたり、炎の強弱、動き、灰の量などで模様が変化するので、作家は長年の経験で焼き上がりを予想するが、最終的には焼き上がるまでわからないので、ふたつとして同じものができない。
登り窯が主流で、傾斜によって炉内のガス対流で温度を高く一定に保つ。
赤松を使用し、火は最低でも7日間、長いと10~12日間炊き続け、作家は交代で火の番をする。
釉薬
陶磁器の表面を覆っているガラス質の部分。
粘土を成形した器の表面にかける薬品。

語彙

  • Il est dit que + indicatif…〜と言われている
  • la porcelaine…磁器
  • la poterie…陶器、陶器造り、製陶工房
  • le potier…陶工、陶器商
  • la faïence…陶器
  • le tesson…(陶器・ガラス等の)破片
  • le fragment…破片
  • le tour de potier…轆轤(ろくろ)

16,500年前で世界最古。
縄文・弥生時代にはろくろを使っていない。
La préhistoire…先史時代
5世紀に朝鮮半島(la péninsule coréenne)から陶工が来てろくろや穴窯を使った新しい陶器や須恵器が現れ、備前焼へ繋がる。

  • à l'aide de qc…〜を使って
  • se caractériser par qc…〜によって特徴づけられる

須恵器の特徴は、形状の繊細さ(la délicatesse de sa forme)と青灰色(de ses couleurs allant du gris au bleu clair)。

  • au cours de qc…〜の間に
  • aristocratique…貴族の、貴族政治の、貴族主義の、貴族的な、特権階級の
  • rugueux…(表面の)ざらざらした
  • auparavant…その前に(過去・未来のある時点を基準)
  • résistant…丈夫な、耐久性のある
  • régner…(王などが)君臨する

須恵器は貴族が支配する平安時代に宗教的儀式などで使われ、鎌倉時代に入ると需要がより多くなり、六古窯が出来た。
六古窯…日本最古の6つの陶磁器窯。
この時から陶器は表面がざらざらし、重くなった。
さらに焼きの温度が上がり、以前よりも耐久性が増した。

  • brun rougeâtre…赤茶色
  • ainsi que…〜のように
  • apogée(m.)…絶頂
  • ériger…〜を建立する
  • unificateur…1つにする
    • un mouvement unificateur…統一運動
  • généreusement…気前良く

室町時代(1336~1573)に備前焼はその上質な粘土と控えめな外観と耐久性、そして水の品質を保つ能力により、最も人気になった。
桃山時代(1573~1600)、日本の芸術が最高潮に達した時、備前では長さ50m、幅5mという最大級の窯が建造された。
この時代に史上2度目の日本統一を果たした豊臣秀吉と茶道の大家千利休は備前焼に情熱を持ち、製造を大いに推奨した。
また、多くの陶工が茶道のために作品を製作した。

  • en tant que + 無冠詞名詞…〜として、〜の資格で

江戸時代に入ると、茶道の衰退と、安価で大量生産が可能な磁器の登場によって需要減。
岡山藩主の池田光政によって開設された日本最古の庶民学校である閑谷学校(1673~1870)の屋根瓦は備前焼と同じ製法で造られた瓦、焼き具合いで1枚1枚色合いが異なる。
また、一般の瓦が寿命60年であるのに対し、閑谷学校の瓦は300年経ってもほとんど割れないまま使用できている。
高い耐久性は高温で焼結されている為であるが、製作過程で変形が起きやすく、屋根に敷いた時に隙間ができて雨漏りしやすいという欠点がある。
その為、様々な雨水対策が施されている。

  • tuyau…管、煙突
  • drainage…(湿地の)排水、(資金などの)吸い上げ
  • réfractaire…反抗的な、耐熱性の

戦後は岡山の陶芸家・金重陶陽(かねしげとうよう)らが桃山陶への回帰を図り、芸術性を高めて人気を復興察せる。
陶陽は重要無形文化財の「備前焼」の保持者、人間国宝に認定。

  • teinte…色合い
    • une teinte de 無冠詞名詞…少しの〜、わずかな〜のニュアンス
  • en quelque manière…ある意味で、いわば

備前焼は釉薬を使わずに松の木を入れた窯で8~20日間焼く。
温度が1,250度に達すると、松の木の灰を再び作品にふりかけ、いわゆる「自然の釉薬」でコーティング。
その結果、作品の1つ1つが異なる色合いを出す。
備前焼を表現するのであれば、控えめで謙虚で、しかし多大な洗練さも併せ持つ焼き物。

  • robuste…頑丈な…solide
  • texture…(物質の)構造
  • sobre…酒を控えた、簡素な、地味な
  • acquérir…(土地・家屋・物品等)を手に入れる、(知識・価値・確信等)を得る
  • apparence…外観…aspect
  • essoufflement…息切れ
  • progressivement…徐々に、次第に…graduellement

明治時代とともに日本は西洋の文化を受け入れるようになり、次第に日本の伝統芸術への関心が減っていき、備前焼にとっても重大な打撃となった。



日本刀

長船で刀作りが発展した理由
岡山県を南北に流れる吉井川の水運と、東西に走る山陽道という交通路に恵まれる。
中国山地の良質な砂鉄(des sables ferrugineux)、松や小楢(le chêne)等を炭として使用できる燃料(le combustible)を集めることができた。
1983年に長船町の町立博物館として設立。
日本刀の詳細は歴史へ。